2007年3月に廃線となった「鹿島鉄道」のずっと昔、当時も常磐線石岡から霞ヶ浦の奥にある鉾田を結んでいた。1966(S41)年夏の終わり、鉾田線の霞ヶ浦の湖畔「桃浦」を訪ねてみた。いつもの撮影行きと違い、どん欲に撮るのをやめて「桃浦」に集中したのは、とても珍しいことであった。
霞ヶ浦湖畔を行く キハ201 ゆったりと時が流れる。 桃浦 1966.8.28
霞ヶ浦湖畔を行く キハ42201 桃浦 1966.8.28 |
当時は旧東横のキハ42201、42202や、びわこ型流線形キハ201など特徴ある気動車が次々とやってきて、湖畔での撮影は終日飽きることがなかった。
4 件のコメント:
親子揃っての電車屋だったもので、こういう非電化私鉄は殆ど撮っていないのが今にして思うと残念です。元東横キハ1、やはりユニークな顔つきですね。大井町線の急行用6000系に面影を見出すのは私だけでしょうね?
Cedarさん、
大井町線の6000系には気づきませんでした。言われてみると今の時代にこんな顔つきの6000系が生まれたのは、東横キハ1からの遺伝子があったのかも知れません。
この対比は面白いですね。ただしあまりに古過ぎて東横キハ1のことは忘れ去られて行くことでしょう。私も鉾田線時代しか知りません。
鹿島鉄道っすかあ。
近場なんだけど、なんとなく気が向かなくて、最初に写真を撮りにいったのは1997年でしたねえ。当時はそれなりに安定しているように見えて、幾度も訪問しつつのんびりした雰囲気を満喫していたのですが、急転直下で営業成績が悪化して鬼籍入りしちゃったんですよねえ。
常陸小川~桃浦の霞ヶ浦ぎりぎりの湖畔の風景とか、浜~玉造町の掘割の風景とか、先人が撮影した写真をいろいろ見ていました。変わってた場所もあり、最後まで変わらなかった場所もあり。
友人が最後まで残っていた車の保存プロジェクトにかかわっていたりするもので、今でもときどき鉾田方面には足を伸ばします。今月も一回行ってきました。なんかなあ。それなりの回数通ったせいでしょうか、そうこうしているうちに鹿島鉄道はおれにとって「交通機関ってなんなのか」を考える基準点みたいになっちゃってますね。廃線敷を転用したBRT(バス・ラピッド・トランジット)なんていう「派手だがあんまし意味がなさげなプロジェクト」の舞台になってたりするものだから、なおさらいろいろ考えることがあって。
旧東横の気動車なあ。あれが今残っていたら、どうなっていたかなあとか、ときどき夢想します。
わかりやすいっていう意味もあるんだろうけど、ローカル線が派手な車を走らせようとすると、やっぱ蒸気機関車になっちゃうんですよね。でも、旧東横の気動車くらいのものがあれば、蒸気機関車ほど金のかからない、だけど目を惹きつけるような「動態保存車」があり得たのじゃないだろうか、みたいな感じ。
ま、鉄道って趣味の世界のものではないわけで、オートバイみたいな「リストア」とかが通用するかどうかそこそこ微妙な部分があったりはするのですが。
猫が好きさん、
熱きコメントをありがとうございました。
私も数十年が過ぎてから最後の鹿島鉄道に通いつめ、この素晴らしい沿線にいろいろと想いがあります。
廃線後も何回か訪れましたが、車両だけではない鹿島鉄道の素晴らしさに気付くのが遅すぎました。この想いを別途纏めようと思っています。
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