案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年6月17日木曜日

田園鉄道

宮城中央交通(栗原電鉄)、その後の「くりはら田園鉄道」
東北本線石越駅から細倉まで走っていた。
1955年に1067mmゲージに改軌された元ナローゲージ鉄道。
訪問した1966年、元ナローから改軌された凸型電機ED20形が大きなパンタを振り上げて活躍していた。
「くりはら田園鉄道」名の通り、まさに一面田園地帯を行く鉄道であった。
1966.3.1

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この鉄道も最後のときには、もう、このような田園風景は見られませんでした。貴重な写真です。廃線の翌年か?この地帯に大きな地震災害が起きました。線路がズタズタになる前に止めてよかったのか?おとなしい鉄道でしたね。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
くりでん時代の事は知らなかったですが、その後の田園風景は変わりましたか。
昭和41年当時の田園は一面何もなしで、確かに地味でおとなしい鉄道でした。「くりでん」になってから人気が出ましたね。

t7marimo さんのコメント...

私は1970年の1月に一度だけ数時間訪問しましたが、社名は栗原電鉄でした。このときの旅行は、上野駅の発車待ち夜行列車群から、発車ベルが鳴っている列車に飛び乗り、目的地は車中で考える、といった当てどもない旅でした。
また、入社後初めての正月で、飛び石連休を利用して平日は現地から休暇の連絡を入れました。しかし連休が終わって出社すると、課長から「あなたは前から旅行を計画していたのでしょう。それなら事前に言ってください。」と叱られました。

katsu さんのコメント...

t7marimoさん
1970年頃になると社会人となり、私の撮影もむちゃな旅はやめてしまいました。でもt7marimoさんはまだ地鉄放浪の旅?をやっていたのですか。

黒駒漬郎 さんのコメント...

築館伊豆郎こと、今度は栗駒漬郎です。この鉄道も惜しまれてなりません。かつて小学生だった私は岩手から宮城に入る第一番目に横切る線路がこの栗原電鉄で、しかも金成(沢辺駅)でした。今は駅舎も取り壊され、若柳駅のみ貨車等がイベントで使われるため、往時を偲ぶ姿を残しています。平成20年、この地にいた私は時々、北に位置する金成へ出かける時、国道4号線から栗電を眺めましたが、電車がコトコトと走っている姿はとても愛らしいものを感じました。因みに金成・沢辺駅敷地内に美味しいラーメン屋さんがあったらしく、一回は在勤中に行こうと思ってましたが、とうとうそれは果たせなかったです。これも残念なことでした。