案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年5月28日金曜日

銚子のポール電車

1963年夏、ポール電車デハ201(木造)と元鶴見臨港のデハ301が活躍していた。可愛いハフを従え、終点外川駅では付け替えをやっていた。笠上黒生駅での交換風景の画像を見ると、車内は満員盛況である。

観音-本銚子間の森の中を行くデハ201      1963.6.31

笠上黒生駅でデハ301とデハ201が交換。

外川を出発したデハ301の混合列車。

2010年5月27日木曜日

銚子のミニ凸電

今も健在で人気の銚子電鉄。
車両も今ではすっかり変わってしまったようである。
1963年頃は魅力ある車両がいろいろと活躍していた。
銚子と言えばミニ凸電デキ3、まずはこんな光景から。

銚子駅  お客を乗せた単車ハフ1と2が発車を待っていた。1963.6.31

仲の町駅      ポップアップ

2010年5月26日水曜日

金石線の風景

北陸鉄道 金石(かないわ)線。
こちらは金沢駅の裏手にある中橋から大野港まで走っていたが、1971年に全線廃止された。
長田町から金石まで金石街道の脇を一直線に走る退屈な景色であった。ところが45年後にプリントしてみると、なんとも魅力的な光景が写っていた。金石線の特徴ある珍品車両も魅力的である。

何気なく撮ったが、1950年頃のクライスラー・ダッジ?みたいな車が
まだ動いていた時代だったようだ。モハ3000形 1964.12.31

モハ1300形が牽く貨物列車が道路わきを走る。

EB123が牽く貨物列車。  金石

2010年5月19日水曜日

井笠鉄道の神辺支線

軽便では有名な井笠鉄道。
1971年の井笠全線廃止に先立つ1967年4月、井原から国鉄福塩線神辺までの神辺支線が廃止された。訪問した1962年の夏には荷台付ボギー車ホジ7と、片荷台付ボギー車ホジ12が神辺線で元気に活躍していた。この神辺線は高屋~神辺間の神高鉄道と合併したもので、神高鉄道から単車の気動車ジ14~16を引継いでいる。

本線の終点井原駅を発車したホジ7の列車は、右へカーブして本線と分かれ神辺へと向かう。車庫の中には単車ジ16が休む。1962.7.30














国鉄福塩線と井笠鉄道が並ぶ神辺駅。国鉄に較べ軽便のホームの低さがよく分かる。軽便の低いホームに「井笠線のりば」の看板が見える。すぐ脇にはこの地方独特の白壁の建屋が。ホジ12は客車を付替えると出発していく。
















軽便の単車としては、大きく堂々としたジ14とジ15。
 神辺線廃止直前の「くじ場」車庫。1967.3.8

2010年5月15日土曜日

名所 耶馬渓を行く

大分交通耶馬渓線。
日豊本線中津駅から山国川沿いを守実までを結ぶ。
青の洞門、耶馬渓の風光明媚なロケーションを魅力ある車両達が走っていた。

雨上がりの山国川橋梁を行く。羅漢寺ー洞門 1967.3.5
沿線の民家は茅葺き屋根が多い。



ここが青の洞門で、遠くに小さく耶馬渓線の鉄橋が見える。

2010年5月11日火曜日

西那須野の小私鉄

東野鉄道。
東北本線西那須野駅から黒羽に至る鉄道。
訪問した1966年12月は、9月の台風により破壊された蛇尾川橋梁の復旧工事中で、西那須野と大田原間を往復していた。終着駅黒羽は動かない車両達で静まりかえっていた。この直後に復旧したものの、2年後の1968年12月に廃止された。

 大田原駅には不通区間の開通予定日が張り出されていた。                    1966.12.30

大田原ー大高前 キハ501  

元五日市鉄道からきたキハ501

静まりかえった終点黒羽駅の風景。DC201、 ハ31
              

2010年5月9日日曜日

東京近郊の小私鉄、流山電気鉄道

常磐線馬橋から流山まで、今も活躍している流山電気鉄道。
35mmカメラを買ってもらい始めて撮ったのがこの鉄道だった。
馬橋は東京の近場とは言え、えらい遠くまで来た感じがした。
ここでも駅の前はどこまでも続く田畑、今とは全く違う光景だ。

馬橋駅  モハ103  1962年3月

終点の流山駅 モハ105  モハ100形が主力の時代。

馬橋駅で貨物入替えに使われていた森製作所製DB1。
駅の向こうは一面の田畑で何もない。

2010年5月4日火曜日

鉄道写真。



花巻電鉄  西花巻 1964(S39)年8月

昔撮った鉄道写真で、当時のボンネットバスや、人々、建物、駅風景、沿線風景など、その時代らしさが少しでも写っていると楽しいものである。
しかし、そのような写真はいざネガを探しても、中々出てこない。
当時はそういう視点がなく車両ばかり撮っていたので、今になってみるととても悔やまれる。
貴重な珍品車両や自分好みの車両でもない限り、たんなる車両写真は資料に過ぎず、今もネガのまま永遠に陽の目をみないであろう。

2010年5月3日月曜日

東京近郊の小私鉄、1962年の佐貫駅、貨物列車の発車

鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線
訪問した1962年3月当時は鹿島参宮鉄道であった。

 キハ40402    1962年3月 佐貫
常磐線の佐貫で降りると、駅の向こうは一面の田畑で何もなく、えらく寂しい駅であった。
今では東京通勤圏だが、当時はこの辺りまで来ると何処もこんな風景であった。



畑の中にポツンと待っていた気動車に乗ると、直ぐに終点竜ヶ崎駅に着く。
1962年3月にタイムスリップした光景。遠くに見えるトラックやバスはまだボンネットの時代。

構内では4号機1925年川崎造船所製のCタンクが入替え作業中であった。
混合列車の客車ハフ15は片ボギーの元ガソリンカー。機関庫には日車の5号機があった。

入替え作業が終わると、混合列車が出発して行った。
東京近郊でこんな光景が見られた。

2010年4月27日火曜日

SLが生きていた地方私鉄

山陽本線明石の先にある土山と別府港を結ぶ別府鉄道。
野口線と土山線があり、土山線は貨物輸送が主であるが客扱いの列車が1日5往復あり、客貨混合列車を小さな日立C形5号機がのんびりと牽いていた。
1962年頃はこんなSLが活躍している地方私鉄がまだあった。別府港の機関区を訪問すると、現役の雨宮1B形の1、2号機、日車C形6号機など小さなSLを見せてくれた。
火の入った雨宮の現役の蒸機が活躍しているなんて信じられない光景であった。

5号機が牽く土山へ向かう混合列車. 1962.7.28


2010年4月23日金曜日

小型電動貨車が活躍する小さな鉄道1

秋田中央交通軌道線。(画像再調整 '10.10.4)
国鉄奥羽本線八郎潟から五城目まで走っていた全線3.8Kmの小さな鉄道。中間にあるのは2駅だけ。電車ではなく電動貨車が客車を牽くというのがとてもユニークであった。

並行する道路はぬかるみだらけ。    1966.3.5


元東急の電動貨車(単車)が牽く列車。五城目-川崎

五城目-川崎

2010年4月22日木曜日

スーパ駅長「たま」の貴志川線の昔

南海電気鉄道貴志川線(旧和歌山鉄道)。
今や、スーパ駅長「たま」、いちご電車などで有名になった和歌山電鉄貴志川線。
1965年夏の南海電鉄貴志川線時代の情景です。

大池遊園を行く。   1965.8.4

たま駅長がいる終点貴志駅の45年前の風景。今では様変わりしていることだろう。

伊太祈曽駅の交換風景

荷台カゴ付元ガソリンカーが顔を揃える。

2010年4月16日金曜日

花笠音頭の尾花沢へ向かう列車

山形交通尾花沢線。
1964年8月、夏休みの東北私鉄めぐりで立寄る。
奥羽本線の大石田の駅の端っこに、歓迎「仙境のいで湯」銀山温泉の看板が掲げられた小さなホームがあり、そこで待ち受けていた尾花沢行きの列車。
全長なんと2.6Kmという短区間を、なんとも可愛らしい機関車DB151が混合列車を牽き往復していた。終着駅は花笠音頭で有名な尾花沢である。
ホームの看板にあった銀山温泉はここから更に15Kmの先にある。

大石田   1964.8.5

終着尾花沢駅

花巻の銀河鉄道ともう一つの軽便鉄道。 ここからブログがスタート

アメブロの音楽ブログに4月13日アップ開始した「地方私鉄1960年代」を、Googleブログに移動しました。




4月6日にアリソン・クラウスのNHK BSh1放映の画面をアップした後、一気に1960年代のモノクロ銀塩写真の世界に突入。デジタルから急にアナログの時代が恋しくなってきた。音楽から鉄道へ変身し、まずは花巻駅から西鉛温泉と花巻温泉へ走っていた軽便鉄道の花巻電鉄からスタートします。

1964年8月の東北私鉄めぐりで、始めて花巻を訪問。
銀河鉄道のモデルとなった岩手軽便鉄道は、その昔この花巻電鉄と一緒に移転前の中央花巻駅から出発していた。花巻電鉄は岩手軽便鉄道と同じように小さな軽便鉄道であった。


西公園停車場  1964.8.2  
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