案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年4月22日木曜日

スーパ駅長「たま」の貴志川線の昔

南海電気鉄道貴志川線(旧和歌山鉄道)。
今や、スーパ駅長「たま」、いちご電車などで有名になった和歌山電鉄貴志川線。
1965年夏の南海電鉄貴志川線時代の情景です。

大池遊園を行く。   1965.8.4

たま駅長がいる終点貴志駅の45年前の風景。今では様変わりしていることだろう。

伊太祈曽駅の交換風景

荷台カゴ付元ガソリンカーが顔を揃える。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

父が伊太祁曽駅の車庫で働いており、子どもの頃の遊び場でした。
懐かしくいろいろな記憶が甦りました。
深謝いたします。

1965年には十二歳でした。

京都より。
土井哲治
 

katsu さんのコメント...

土井さん
伊太祁曽の駅名が素晴らしいですね。
あの車庫の中で電車をメンテナンスしていた光景が素晴らしかったです。
「伊太祁曽の小さな電車庫」の情景を書いてみたくなりました。