案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年4月27日火曜日

SLが生きていた地方私鉄

山陽本線明石の先にある土山と別府港を結ぶ別府鉄道。
野口線と土山線があり、土山線は貨物輸送が主であるが客扱いの列車が1日5往復あり、客貨混合列車を小さな日立C形5号機がのんびりと牽いていた。
1962年頃はこんなSLが活躍している地方私鉄がまだあった。別府港の機関区を訪問すると、現役の雨宮1B形の1、2号機、日車C形6号機など小さなSLを見せてくれた。
火の入った雨宮の現役の蒸機が活躍しているなんて信じられない光景であった。

5号機が牽く土山へ向かう混合列車. 1962.7.28


3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

地方私鉄がまだまだ活躍していたいい時代の写真ですね。山陽・山陰めぐる大旅行の初日でした。懐かしく感じます。青蛙

匿名 さんのコメント...

山陽、山陰をめぐる大旅行の初日。
まだまだ軽便も地方私鉄のSLも
元気だったころ。懐かしい光景です。
青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん、いらっしゃい。
これから夏の大旅行の回想をいろいろと
アップして行きますのでよろしく。
地方私鉄の現役SLも、この頃が最後で
幸運でした。