案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年8月24日日曜日

昭和39年 一枚の写真

遠鉄奥山線のお気に入り一枚に、想いを書いてみました。

三方ヶ原台地を上る列車と里山風景.
祝田 - 谷 1964年3月

軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。
庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。

昭和35年頃まで、このあたりはギフ蝶が生息するほどの自然豊かな里山であった。私は写真を見ながら、民家の庭に舞う蝶と、それを追いかける子どもの姿を思い描いてしまう。その後ギフ蝶は絶滅したが、昭和39年当時、浜松郊外にはまだこうした里山が残っていた。

やがて日本各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。失われたものの大きさを思えば、あの光景はもう二度と戻らない。

かつての日本には、手入れの行き届いた森と、豊かな自然に抱かれた暮らしがあった。
昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったのかも知れない。


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