遠鉄奥山線のお気に入り一枚に、想いを書いてみました。
三方ヶ原台地を上る列車と里山風景.
祝田 - 谷 1964年3月
祝田 - 谷 1964年3月
軽便鉄道の築堤の下に、一軒の民家がひっそりと建っている。
庭先には洗濯物が干され、暖かい春の日差しを浴びていた。
昭和35年頃まで、このあたりはギフ蝶が生息するほどの自然豊かな里山であった。私は写真を見ながら、民家の庭に舞う蝶と、それを追いかける子どもの姿を思い描いてしまう。その後ギフ蝶は絶滅したが、昭和39年当時、浜松郊外にはまだこうした里山が残っていた。
やがて日本各地で繰り広げられたのと同様に、丘陵は削られ、広大な宅地へと姿を変えていった。失われたものの大きさを思えば、あの光景はもう二度と戻らない。
かつての日本には、手入れの行き届いた森と、豊かな自然に抱かれた暮らしがあった。
昭和30年代は、都市近郊にそんな里山がまだ息づいていた最後の時代だったのかも知れない。
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