案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年5月14日土曜日

軽便のアーチバー台車 1

ここ暫くBloggerの不調で、コメント欄でエラー表示が出てしまい、ご迷惑おかけしました。
エラー直前に投稿戴いたコメントで消えたのもあるようで申し訳ありませんでした。
今朝からBlogger機能は正常に回復したようです。


九十九里鉄道 廃線後14年の残骸から思いついた軽便アーチバー台車のことです。
アーチバー台車と言えば3'6''ゲージ鉄道ではお決まりのサイズだが、軽便鉄道ではアーチバー台車の大きさは千差万別で不揃い、そこが軽便の面白さだが模型化では大変厄介なところ。客貨車の模型でオリジナル車のイメージを出すのにはこの台車サイズの選定が重要なポイントと思います。

九十九里客貨車の台車採寸サイズと、軽便各社の車両竣功図や採寸サイズをつけ合わせてみると、九十九里の軸距42in~40in、車輪径20inの台車は、軽便アーチバーの代表的サイズと言えそうだ。これに数種類の車輪径と入替えると各社の主な台車サイズに近くなる。
(但し草軽貨車、西大寺客車、沼尻ボハなど特殊サイズ台車は除く)

九十九里 軸距42inアーチバー台車
九十九里ボギー貨車の台車サイズを採寸すると
井笠の軸距42in(1066mm)、車輪径20in(508mm)クラスであった.

九十九里 軸距40inアーチバー台車
九十九里ボギー客車用を採寸(写真は天地逆)すると
軸距40in(1016mm)、車輪径20in(508mm)クラスであった.


井笠鉄道ホハ2

 軸距42in(1066mm)、車輪径20in(508mm)


仙北鉄道ハニフ1404

 軸距40in(1016mm)、車輪径18.5in(470mm)、19in(483mm)


遠鉄奥山線サハ1108

 軸距40in(1016mm)、車輪径20.9in(530mm)

沼尻鉄道ホハフ1

沼尻鉄道 軸距40in(1016mm)、車輪径22in(560mm)

2011年5月11日水曜日

廃線間際の九十九里鉄道 4

のんびりと上総片貝へ向かうキハ104の運転室.速度は自転車を速くこぐ程度か.
鼻先に収めたエンジンによる後輪駆動で客貨車を4両も牽く. 1961年2月

終点上総片貝に到着すると車庫脇のターンテーブルに乗って、
運転手と車掌さんの人力による方向転換はこの鉄道の名物光景であった.

鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第1分冊」に紹介された「午前10時の終点」は
昭和34年の夏にここで撮影されたものであった.
車庫にはキハ102が休み、右に分岐した線路は洗濯物があるターンテーブルへ向かう.
こんな上総片貝の光景も、数日後の廃線で消滅してしまった.

東金行の列車はケハ111+ケハ107の前後にボギー貨車を加えた編成となった.上総片貝駅


この日のもう1本の編成は、キハ103が牽くケハフ301+ハニフ105で、
踏切を通過しハニフ106の脇を走って上総片貝駅に到着する.

東金駅の留置されたボギー貨車ケワ52は最後の日まで活躍した.
廃線後もこの場所に留置されたケワ52と50は、
14年後もその形を保っていて採寸ができた.


撮影: 全点 飯島巌氏

2011年5月10日火曜日

廃線間際の九十九里鉄道 3

昨年12月14日に「廃線間際の九十九里鉄道」1と2をアップし、暫く経ってから私の模型製作用のアルバム中に飯島巌さん撮影の九十九里鉄道の写真を更に見つけました。前回同様に九十九里に行けなかった私がプリント版を頂戴したもので、将来の模型製作に備えていたものです。
1961年2月、廃線が迫る九十九里鉄道の光景。この日の車両の動きは、写真から私が想像したものです。まずは東金駅の光景から。


東金の留置線の奥に休む不揃いな車両達.その各車を確認してみると、


手前には、さんさんと2月の陽を浴びて休む超人気者 キハ104が. 1961年2月


その先にボギー客車ケハ111が.この大型客車はこの鉄道に1両しか居ない.


更にその先に雨宮製キハ201(トレーラ化後)と、元増東軌道のケハ107が.
元増東軌道の小さなボギー客車は堪らなく愛嬌がある.


ターンテーブルで方向転換したキハは、2両のボギー客車を従えて発車を待つ.
東金駅のキハ104+ケハ107+ケハ111

撮影: 全点 飯島巌氏

2011年5月6日金曜日

井笠鉄道 ダブルルーフ客車

井笠のダブルルーフ客車の車両写真を並べてみます。

ホハ1~6は開通当初からの最古参客車で、両端デッキ付、大正2年日車製。
1~6それぞれは微妙なところが異なっている。
ホハ2、5、6、10の4両が西武園ゆうえんちに保存されている→その後転出。


ホハ1 妻面が平


ホハ2 妻面が丸 ウインドウシルの断面形状が他と異なる.(西武園ゆうえんちに保存→その後転出)


ホハ3 妻面が丸


ホハ5 妻面が平  雨樋が他と異なりエンドにある.(西武園ゆうえんちに保存→その後転出)


ホハ6 妻面が丸  (西武園ゆうえんちに保存→その後転出)

ホハ7~9はオープンデッキ 大正3年日車製

ホハ8  美しいオープンデッキ.

2011年4月24日日曜日

鹿児島市電 鹿児島駅前

桜島と鹿児島駅前電停  1967.3.1

高い建物や木立もなく、やたら空が広い鹿児島駅前。
1960年代の九州では、どこの駅もSLが吐きだす煙で駅前の空が黒ずんでいた。
3月始めの春とはいえ、強烈な陽ざしが南国的で、噴煙を上げる桜島と
市電の標準カラー(橙と緑)が印象的であった。


国鉄鹿児島駅が見える。601

昔のカラーの601

607


鹿児島市電 標準カラーに塗られた203


鹿児島駅構内で忙しく働き、煙を吐き出すハチロク

2011年4月21日木曜日

原田のC55

熊本電鉄と熊本市電を撮った3月6日は、この後熊本から鹿児島本線に乗って原田(はるだ)に来ていた。ノートの片隅には、朝早くから夕暮れまでろくに食事もせず歩き回り、何で俺はこんなところをさ迷っているのだとメモがあったが、九州めぐりの最後は原田から出ている筑豊本線の土手の上に居た。
地方私鉄から路面そして国鉄SLと、なんとも欲張りな一日であった。

門鉄デフを装備した美しいC55  はるだ  1967.3.6
原田を発着する筑豊本線にはC55列車が日中上下14本も走っていた。

2011年4月11日月曜日

石神井川の桜

今年も華やかな季節を撮ってみました。

満開の桜 西武鉄道新宿線 東伏見 - 武蔵関 '11.04.07


今日の花吹雪で桜も終わる。   東伏見 - 武蔵関   '11.04.11


 東伏見 - 武蔵関   '11.04.11

2011年4月10日日曜日

耶馬渓線 青の洞門

羅漢寺の駅を中津方面に戻ると、耶馬渓の山国川に面しそそり立つ競秀峰の裾にある「青の洞門」が右手に見え、山国川の鉄橋を渡り洞門駅に到着する。

羅漢寺駅(左手)の駅前と、背後にそそり立つ競秀峰。  1967.3.5

羅漢寺を出た気動車の車窓右に鳥居が見える。洞門 - 羅漢寺

鳥居の向こうのに、山国川に沿ってそそり立つ競秀峰とその裾にある
大分県指定史跡 全長約342m 「青の洞門」が見える。


青の洞門(隧道、トンネル)


2011年4月4日月曜日

関東鉄道鉾田線 元国鉄07系他

鉾田線を訪問した時は、元東横やびわこ型の流線型気動車に目を奪われ、元国鉄07系には目が向かなかった。ネガをスキャンして良く見ると、石岡機関区の元国鉄07系では更にキハ42504が居た。入線直後の姿であったのだろう。そして奥にはキハ42503が居て、これら2両はお馴染みのキハ602と601に変身し廃線の日まで活躍した。

異様に大きなヘッドライトが目立つキハ42504→その後改造でキハ602に。 1966.8.28 石岡

キハ42503→その後改造でキハ601に。

キハ602   浜 - 玉造町   2007.3.16

昭和11年日車製のびわこ型キハ201と DC351   1966.8.28 石岡

 旧東横の流線形キハ42201と42202 1976年廃車。1966.8.28 石岡     再アップ画像

桃浦を行くキハ42502    1966.8.28

桃浦を行くキハ42501。 沿線には藁ぶき屋根が見える。
DD451の列車 桃浦

2011年4月3日日曜日

関東鉄道鉾田線 鉾田

鹿島鉄道(関東鉄道鉾田線)の45年前の夏の日。
元国鉄キハ07型に乗って鉾田まで行ってみた。

キハ42502  石岡 1966.8.28


キハ42501  鉾田 1966.8.28

廃線直前の鉾田 2007.3.28


こんな昔の光景も、2007年の廃線まで変わらないようであった 鉾田駅。

鉾田にあった駐在所

鉾田を出発したキハ42501