案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年2月24日月曜日

オリンパスペンから落穂拾い(6)

松尾鉱業鉄道 東八幡平.

初めてスキャンした1枚に構内の機関区~貨物施設全体が写っています。

左手にホッパー、奥に跨線橋がありその脇に機関区、その右脇にあった廃車体が見える。


東八幡平の構内.


盛んに活躍していたED252.


上 ナハフ8、 下 ハニフ4 ?

4 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

ここは私も行きました。大更を15時台発の列車に乗り、折り返しの東八幡平17時台発が終電でした。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
この路線を一往復した感想はどうでしたか?
私は東八幡平から更に山を登ったところの雲上の楽園都市がまだあったことに感銘を受けました。山の上から下りて来た住民が松尾鉱業鉄道や花輪線を利用するのを目撃できた時代でした。

モハメイドペーパー さんのコメント...

大更発はもう少し遅い時間だったかも知れません。東八幡平では構内を見渡し、たまたま目の前にいたED252を撮影しただけです。沿線もほとんど記憶にないですね。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん、そうでしたか。沿線は荒涼とした何もない風景でした。私が乗ったボギー客車の内部はシートを外してダンスホールのような広間がありました。全て記憶からは消えてメモ+写真による思い出です。