案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年6月13日木曜日

足摺岬への道2

足摺岬に到着。こういう絶景は今でも変わっていない事でしょう。



足摺岬の突端にあった看板と旅の相棒。そして背後の観光客。

前日、土佐清水に入る前に散々撮った名所がこの竜串であった。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

あー竜串も行きました。
あんな場所に突如、見かけない学生服軍団
(ウチの制服は特徴的)が現れたので、観光客や地元の人にじろじろ見られた記憶が蘇りました。

にぶろく さんのコメント...

2回続けて鉄分ゼロなのは
珍しいですね(笑)

katsu さんのコメント...

Cedarさん
修学旅行で東京から竜串→足摺までよく回られたと思います。
独特の学生服で東京からどっと来たらそれは驚くでしょう。
竜串で私はじっくりと写真を撮ったのですが、
今、ネガを見るとそれは岩場ばかり、漁港や民家や地元の人などを撮るべきでした。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
言われてみるとこれまでに2回続けて鉄分ゼロは確かになかったようです。
名所でも何らか鉄道に関係しているものばかりでした。
足摺岬では鉄道が関係するのは入口・出口の国鉄ローカル線くらいですが、
ネガには国鉄が写っていなく鉄道には全く関係なしで失礼しました。
足摺の次は土佐電に飛びます。