案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年6月5日水曜日

京王線下高井戸の今昔

今の京王線下高井戸駅に立つと、600V時代の中型車がこのカーブを走っていた姿が思い出される。あれから56年が経つ。

下高井戸駅の現在 2019.6.4

デハ2400形2403を先頭に5両編成は全車パンタ付. 下高井戸 1963年4月
     
1962年12月の玉電下高井戸駅

玉電の背後にある京王線下高井戸駅にまだ跨線橋がなかった時代。



そして、この時代、隣の桜上水ではこんな風景が見られた。
600V中型車改造車が組込まれた2010系.1963年4月 桜上水

2600形

昇圧化前に改造済みの中型車.サハ2531(旧番号2111) 1963年4月 桜上水車庫

8 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 新宿駅は地下になり、まだ架線電圧は600Vの時ですね。地下線切替は徹夜で見に行ったのですが、地下ホームに小型車が出入りしているシーンは1枚も撮っていないのが今も悔やまれます。下高井戸は世田谷線との乗換がだんだん不便になりますね。

Cedar さんのコメント...

家内が元気なころは、駅前の下高井戸市場によく買い物に行ったものです。昔の面影が残っていて好きでしたが、立体化で消えてしまうんでしょう。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
昔の下高井戸は玉電降りて踏切を渡り反対側の京王改札からホームに入ってましたね。
私は下高井戸駅乗換は滅多に使わないので不便になったとは知りませんでした。
全く逆で乗換通路ができて便利になったもんだと思っていました。
日々通勤で使っている人などはその変化を感じているのでしょう。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
あの有名な生鮮市場、中は奥行きがない意外に狭いところですね。
京王線が立体化になれば駅前整備でロータリーでも作るのでしょう。
どこでも立体化が盛んで街のよいところが消えていきますね。

匿名 さんのコメント...

いつも楽しく、貴重なお写真や記事を拝見しております。ことに今昔での新旧対比写真は、その画角や車両位置などに苦心されているご様子が手に取るようです。この下高井戸駅の今昔を拝見して思い起すのは、京王線と世田谷線の間にあった連絡線の存在です。それと申しますのも、両者の軌間は同じ1372mmで、架線電圧もかつては同じ600Vでした。このため両線間の直通運転は、物理的には可能だったのです。
なぜ京王が1372mm軌間を採用したかは、新宿終点から当時の東京市電への乗入を狙っていたからです。一方で世田谷線こと玉電も、東京市電に貨車を直通させるため、同じ1372mm軌間を採用していました。ちなみにこの1372mmは、4フィート6インチのスコッチゲージに由来します。この期間は、イギリスのスコットランド地方の馬車鉄道に多く採用されていました。日本でも東京馬車鉄道がこれを採用し、電化した後も引き継がれ、やがて東京市電に統合されて行きました。このため全国各地の路面電車にも、この期間が広まっています。
ちなみに標準ゲージの1435mmと、このスコッチゲージ1372mmとの違いは、それらの線路上の動力に由来します。すなわち前者は蒸気機関車が主だったのに対し、後者は馬力を採用していました。馬は生き物ですから、線路と線路の間を走っていると、どうしても左右に蛇行する習性があります。そのため標準ゲージよりやや狭いスコッチゲージの方が、馬にとっては走りやすく馬車鉄道に向いていたのです。
余談ですが日本では、この4フィート6インチ(1372mm)軌間と、3フィート6インチ(1067mm)軌間と、2フィート6インチ(762mm)軌間が仲良く?共存していました。どれもちょうど1フィート(305mm)ずつの違いです。一方で例えば都営地下鉄では、京王線が直通する新宿線は1372mm、京急と京成に直通する浅草線が1435mm、東急などに直通する三田線が1067mmと、各線がバラバラなのが面白い事実です。その京王も、京王線系統は1372mmで井の頭線が1067mmと軌間が違っています。これは後者が、小田急系の帝都電鉄をその由来とするからです。
このたびの下高井戸駅の今昔を拝見し、思わず日本の鉄軌道の軌間(ゲージ)に思いを馳せることができました。感謝と共に、これからも素晴らしい今昔記事の数々を期待しております。ただしこれからの季節、決してご無理はなさいませんようにお願い申し上げます。

katsu さんのコメント...

匿名さん
ゲージの解説をご丁寧にありがとうございました。
鉄道ファンならこの件は殆どの人が知っていると思います。
知らなくても今はネットで調べればすぐ判る贅沢な時代になったものです。
情報が入ってこなかった大昔は先輩たちがよく教えてくれました。
どれだけ鉄道知識が頭に詰まっているかが鉄ファンの自慢だった時代でした。

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
偶々先日、下高井戸を訪ねたときの写真を振り返っていました。幼い頃に見ていた駅とは随分と変わり、驚きながら写真を撮ってきたのですが、それだけ時間が経ったのだと実感しています。
走る列車も綺麗になりましたし、駅も橋上に移り大きくなりました。お店は変わっているにせよ、駅前の市場がまだ残っているのを、どこか安堵の気持ちで眺めていました。
お写真を拝見させて頂き、私にとっての「あの頃」の記憶がよみがえってきました。そしてやはり浮かんでくるのは、京王帝都という子供の頃に親しんだ名前の良さ、そして5000系のデザインの美しさでした。きっと、お写真の頃からしばらく経ってから、一気に近代化が進み、車両も雰囲気も、大きく変わったのだろうと思います。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
毎日コロナの自粛ですっかりブログも放置され遅くなってしまい申し訳ありません。
下高井戸は今も商店街に下町風の感じがあって撮りたくなります。
駅前の市場は中々よい感じですね。
今はコロナで何もかもが停止中ですが
いずれ自粛が解けたら野山に鉄道撮影に行ってみたいものです。