案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年10月2日金曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄2

この時代の長野電鉄で活躍していたのは古豪電車だけではないのですが、好みの電車からアップしてみます。時代とともに改番が続いた形式番号調べは後回しとして。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

モハニではなかったモハ100形.信州長野

 モハ300形(302)   信州長野

モハ300形?

モハ100形?

モハ300形

モハニ510形(512)  須坂

モハニ210形(211)と並んだ昭和41年登場の「OSカー」0系.  須坂

 モハニも130形、200形、250形、210形、510形、530形といろいろ

2 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

東武鉄道や上田交通のような大型のパンタグラフを載せた、ゴッツイ旧型電車が豪雪地帯を走るのはいかにも長野の私鉄電車っぽくていいですね!
モハ300型、窓配置がどこか富士急モ1型に似ていますね。

明後日の模型祭でお会い出来ることを楽しみにしております。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
あの時代の電車はほんとうにデカくて骨太のパンタが魅力的ですね。
長野電鉄モハ300形は富士急モ1形と窓配置も同じの電車で生まれも同じ日車製ですね。
あまりにも無難で個性のない標準スタイルで、昔の模型製作入門の電車みたいを感じます。

富士急といえば昭和39年こんな電車が居たの? 近場なのに何で行かなかったの?
の富士急(田辺写真館)を近いうちにアップしてみます。
明日の軽便模型まつりでお会いできるのを私も楽しみにしています。