案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年10月23日金曜日

昭和38年 富山駅前

昭和30年代後半の日本の変貌期は私にとって最も昭和らしさを感じる風景であった。さらに時代を遡ればいくらでも凄い世界があるが私はカメラ普及以前の「手の届かない世界」はとっくに諦めている。昭和の風景とはどの年代をさすかは、見る人の年齢によって様々異なるのでしょう。

昭和38年の富山駅前のこんな風景も私にとって昭和の風景を感じさせてくれる。この頃の路面電車がある街風景は、どこの街でも人々が溢れ背景には薄汚い街並みや看板が写っているのが特徴であった。まだクルマ社会到来前で路面電車や駅前通りに活気が溢れていた。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12 富山駅

 笹津行き電車と朝の通勤通学客で賑わう「富山駅前」

駅前旅館「月見旅館」が見える「富山駅前」。
写真に見える月見旅館の二階から朝の路面電車を撮ったのは昭和37年だった。
市内線単車と笹津線の高床電車が並らぶ駅前。当時、薄汚いこんな街並みは日本のどこにでもあった。
現在の富山駅前をストリートビューでここかる見ると興味深いです。

朝の通勤の人々

富山港線

 富山地方鉄道

蒸機がいくらでもいた富山駅

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