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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年9月28日月曜日

越後交通 長岡線の電機

コメントで長岡線のスノープロウの話題が出ましたので、この時の長岡線西長岡の電機もアップしてみます。2月下旬、雪が少なかったせいか電機のスノープロウは外されています。

ED401 (相模鉄道ED10形と同タイプ)    西長岡  1967.02.23   撮影:田辺多知夫

 ED311 (東芝製標準機を模範にした西武所沢工場製)

電機代わりに使われていたのかモハ2001

そして同じ日の栃尾線でスノープロウを装着したモハ212   長岡

この頃は長野電鉄で活躍していたED5002  むらやま  1967.02.22

1975年の長岡線の電機は→地方私鉄の電機越後交通長岡線にもあります。

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

西長岡の貨物列車風景、懐かしいですね。
もし、川を渡って長岡駅に乗り入れていたらどの様になっていたのだろう?と思いながら橋を渡ったのを思い出しました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
旅客営業としては随分中途半端なところに始発駅がありましたね。
もし川を渡って長岡駅まで来ていて栃尾線とともに存続していたら、
今やJR駅両側に鉄道網がある恵まれた地方都市長岡ということになりますね。
長岡線廃止後も復活を予想した昔の人たちは遠い将来の今を予想していたのでしょうか。