悠久山 1964.03.22 撮影:田辺多知夫
日本のマイカー時代が幕明けする直前で、栃尾線でも長岡市郊外の悠久山や上見附まで人々の足はまだ軽便鉄道であった。悠久山や上見附の駅では珍編成の列車が到着するたびに駅は乗客で賑わっていた。今、地方ではマイカー利用から鉄道を利用したコンパクトシテイ指向が注目だがライトレールの一つとしてこんなコンパクト鉄道の現代版が一翼を担う時が来るかも知れない。もちろんナローとは云え近代化車両と設備で。
後ろのカマボコ客車(2両いた)の1両から生まれた驚きの電車モハ211
6 件のコメント:
見事なまでの凸凹編成ですね!
これぞ軽便という列車、魅力的です。
chitetsuさん
そうですね、全く異種の車両をつないでいるのが愉快です。
ここまでの珍品ネタは何でもやるワールドでもまさか模型化はしないでしょうね。
こういう編成はフリーではなく実際にあった事例を模型にすることて、
長岡越後の風景が浮かんできたりして楽しいと思います。
昔の地方鉄道の電化線だと、電車が客車を牽引するする姿は昭和の40年代の初めにはよく見られたものなんですよね。
東海以東のことはよくわからないのですが、準大手や、富山地鉄や長電、琴電とか一畑のように当初からクハがあったところはともかく、それ以外はラッシュ時には得体のしれない客車とか、電装解除され客車が、電車の後ろにぶら下がっていたのは見たことがあります。
そういえば東武でもトク1型なんてのもありましたね。
ねこあたまさん
富山地鉄や長電、琴電などまともな地方私鉄を除けば客車牽引はその通りでしたね。
こういう電車が牽く客車はせいぜい1~2両であったと思います。
これと違って車庫から総動員して長大編成で運転したのが非電化鉄道でした。
私が見た昭和37年以降では電車牽引の極めつけは栃尾線であったと思います。
電車に牽かれる客車の前歴が様々でこれだけの凸凹編成は他にないでしょう。
栃尾線の沿線にはそれだけ利用客が多かったのでしょう。
東武のトク1、今やこういう客車が登場してもおかしくないですね。
外観を変えず昔のままのデザインで出してくれると嬉しいのですが。
静岡鉄道駿遠線、下津井はサブロクに改造されていたら残っていたのでは無いかと
未だに地元では言われているようです。実際に改軌計画もあったらしいですが
頓挫したようです。仮に栃尾鉄道がサブロク改造されていたら、今の長野電鉄や
松本電鉄のようなスタンスだったかも知れませんね。
ねこあたまさん
駿遠線は改軌していたら存続したかも知れませんね。
栃尾線には長野や松本のような大きな観光地もないので
もし改軌したとしても厳しかったのではないでしょうか。
しかしクルマ社会の弊害で鉄道が見直される今は違いますね。
各地で鉄道を利用したコンパクト化街づくりなどが活発になってきているようです。
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