案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年9月20日日曜日

栃尾線 悠久山駅


悠久山 1964.03.22 撮影:田辺多知夫

日本のマイカー時代が幕明けする直前で、栃尾線でも長岡市郊外の悠久山や上見附まで人々の足はまだ軽便鉄道であった。悠久山や上見附の駅では珍編成の列車が到着するたびに駅は乗客で賑わっていた。今、地方ではマイカー利用から鉄道を利用したコンパクトシテイ指向が注目だがライトレールの一つとしてこんなコンパクト鉄道の現代版が一翼を担う時が来るかも知れない。もちろんナローとは云え近代化車両と設備で。

ここに集う車両はまさに鉄道博物館

堂々とした体格の元草軽のモハ208. 神鋼電機の垂直カルダンドライブを装着

後ろのカマボコ客車(2両いた)の1両から生まれた驚きの電車モハ211

カマボコ客車と元杉並線の客車化を牽くモハ211の珍編成.
こんな珍編成は模型の世界で再現する楽しみがあります。

目いっぱいパンタを張り上げたモハ213

凸凹客車編成の話題が出たところで強力電車が牽く編成を.  上見附
ホハ28+ホハ10+ホハ17+モハ209

6 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

見事なまでの凸凹編成ですね!
これぞ軽便という列車、魅力的です。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
そうですね、全く異種の車両をつないでいるのが愉快です。
ここまでの珍品ネタは何でもやるワールドでもまさか模型化はしないでしょうね。
こういう編成はフリーではなく実際にあった事例を模型にすることて、
長岡越後の風景が浮かんできたりして楽しいと思います。

ねこあたま さんのコメント...

昔の地方鉄道の電化線だと、電車が客車を牽引するする姿は昭和の40年代の初めにはよく見られたものなんですよね。
東海以東のことはよくわからないのですが、準大手や、富山地鉄や長電、琴電とか一畑のように当初からクハがあったところはともかく、それ以外はラッシュ時には得体のしれない客車とか、電装解除され客車が、電車の後ろにぶら下がっていたのは見たことがあります。

そういえば東武でもトク1型なんてのもありましたね。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
富山地鉄や長電、琴電などまともな地方私鉄を除けば客車牽引はその通りでしたね。
こういう電車が牽く客車はせいぜい1~2両であったと思います。
これと違って車庫から総動員して長大編成で運転したのが非電化鉄道でした。

私が見た昭和37年以降では電車牽引の極めつけは栃尾線であったと思います。
電車に牽かれる客車の前歴が様々でこれだけの凸凹編成は他にないでしょう。
栃尾線の沿線にはそれだけ利用客が多かったのでしょう。

東武のトク1、今やこういう客車が登場してもおかしくないですね。
外観を変えず昔のままのデザインで出してくれると嬉しいのですが。

ねこあたま さんのコメント...

静岡鉄道駿遠線、下津井はサブロクに改造されていたら残っていたのでは無いかと
未だに地元では言われているようです。実際に改軌計画もあったらしいですが
頓挫したようです。仮に栃尾鉄道がサブロク改造されていたら、今の長野電鉄や
松本電鉄のようなスタンスだったかも知れませんね。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
駿遠線は改軌していたら存続したかも知れませんね。
栃尾線には長野や松本のような大きな観光地もないので
もし改軌したとしても厳しかったのではないでしょうか。
しかしクルマ社会の弊害で鉄道が見直される今は違いますね。
各地で鉄道を利用したコンパクト化街づくりなどが活発になってきているようです。