案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年9月22日火曜日

越後交通 長岡線

栃尾線訪問から3年たった越後交通の長岡線をのぞいてみましょう。
私が長岡線を訪問したのは旅客廃止直前の1975年3月でしたが、田辺さんは1967年に訪問していて、その時は1969年9月の1500V昇圧前で魅力的な750V時代の電車が走っていた時代でした。長岡線は1969(昭和44)年の昇圧化で元小田急車一色になって大きく変貌したわけですね。
私が訪問した1975年の長岡線はもぬけの殻だったわけです。

モハ2001(元気動車) 西長岡  1967.02.23   撮影:田辺多知夫

モハ3002  西長岡

 これぞ元京王デハ2125を2扉化したモハ3005ではないか.西長岡
ここでも1500V昇圧化で消えた。
京王2125

モハ3005+ホハ33or34(元目蒲)

モハ5001  西長岡

モハ5001(元富士身延鉄道)

1500V昇圧化(昭和44年9月)前に入線していた小田急1400形(1402+1451)  1967.02.23
1500V昇圧化してからは元小田急1400形が主力となり旧型車は消滅した。

14 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

そうそうこんな図柄ですよ。
電車が客車や貨車を引っ張るという光景です。

katsu さんのコメント...

魅力溢れるこの客車、よく出来過ぎてますね。

宵闇 さんのコメント...

元京王の3005が旧目黒蒲田モハ1改造の客車を牽いて田園地帯を吊り掛けモーターを響かせのんびり走るなんていいですね~

今そんな日本の田舎電車の原風景がどこにもないのが悲し過ぎます。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
各地で見られた元目黒蒲田モハ1は趣味的にみて素晴らしい電車でした。
よくこんな素晴らしい造形が遠い昔に生まれたものだと感心させられます。

#9999 さんのコメント...

栃尾線のスノープロウの話題から、長岡線の方にも着目してみました。

Katsuさんが撮影された「越後交通 長岡線」、ED512の脇にスノープロウが転がっていますね。
装着時は連結車両に支障をきたすようなサイズかどうかは微妙なところですが、おそらく栃尾線の様に、ELや客車牽引の電車は、折り返し地点でスノープロウを付け替えていたと思われます。スノープロウは全車共用で、二人で簡単に着脱が可能な工夫がされていたのでしょうね。
ネットや書籍を見ると、電車は冬場のみ取付ステーを装着していますが、ELの多くは冬場以外でもステーを取り付けたままでいたようです。
スノープロウ装着時の画像は以外と無く、U-Tubeでやっと見つけましたのでご参考までに。

https://www.youtube.com/watch?v=iwZ6vKwrGGE

1067mmと762mmの違いからでしょうか。長岡線には栃尾線のモハ209やED51の様な"怪物"は現れなかったようです。

三等急電 さんのコメント...

元・いきもの部長改め三等急電と申します。
これからもよろしくお願いいたします。

ところで、来迎寺-西長岡間は昇圧後の旅客営業が電気機関車牽引による混合列車になり客車には電装解除した既存電車が使われていました。
パンタだけは撤去されず電源確保に使われたようです。
ありがちな話ですが、2年半ほどで旅客営業廃止となり姿を消しました。

伊豆之国 さんのコメント...

だいぶ前に「栃尾線の客車」のときに書いたように、長岡を初めて訪れたのは昭和も末期になってからだったので、既に長岡線も旅客営業はなくなっていましたが、まだ来迎寺から越後関原までの貨物輸送が健在で、来迎寺の駅にはELがいたような記憶も残っていました。長岡線は、その貨物線区間以外が廃線になっても、かなり長い間、レールや架線柱などが残されたままになっていたようで、「状況が変われば路線復活も有り得る」という考えが社内にあったという話を見たことがあります。結局、平成7年だったと思うのですが、残された貨物線区間も廃線になり、かの「闇将軍」氏も既に他界されていたこともあってか、これでどうやら路線復活は完全に諦めることになったようでした。
長岡市は、「平成の大合併」で栃尾市や寺泊町などと合併して恐ろしく広くなり、長岡線があった沿線は、その全部が「長岡市内」になってしまいました。

katsu さんのコメント...

#9999さん
確かに電車にもスノープロウの取付ステーが見えますね、全く気づきませんでした。
このようなステーは北陸鉄道ではよく見かけました。
写真が撮られた長岡線の2月では電機の方もスノープロウが付いていませんでした。
一方、同じ日の栃尾線では電車に小さなスノープロウ(台車に固定?)が付いているのですね、
これも初めて気づきました。

katsu さんのコメント...

三等急電さん
昇圧後の来迎寺線で旅客営業廃止まで2年半そんな時代があったのですか。
電装解除された電車を客車として使っていた混合列車は中々興味深いですね。
旅客全面廃止された1975年は元小田急電車ばかりで実にシンプルで何も面白味はなかったのですが、
ここへ来るまでの長岡線には車両もいろいろで楽しい時代があったのですね。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
当時の長岡市には必要はなく廃止にした長岡線が、
今になってみると長岡市にとって郊外へ延びていた旅客鉄道がまた必要になってきたのではないでしょうか(勝手な想像)。
マイカー社会による今の地方過疎化の問題で、郊外へ延びる鉄道の価値が大きく変わるかも知れませんね。
もし長岡線や栃尾線が復活したとすると全く生まれ変わった新生の路線になるのは当然ですね。

esehoku さんのコメント...

長岡線、廃線後も相当長い間、線路や架線柱、ホームなどが野ざらしで残っていて、1日がかりで全線を歩いてみた事がありました。
まだ一部区間に貨物輸送が残っていた頃でしたが、越後関原付近にタンク車が留置されているのを何の気なしに眺めて通りすぎたのですが、後日ある本での写真を見て仰天しました!
ED5000の重連が、一体どれだけと思えるほどのタンク車を牽いていて、踏切で車が通過待ちをしているのですが、おそらく相当長い間待った事でしょう。 それほどの長大編成でした。
これも長岡線の全盛期だったのでしょうね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
長岡線の越後関原までは1993年3月まで貨物営業をやっていたのですね。
写真で見た重連とは定山渓鉄道→長野電鉄からやって来たED5100形の重連ですね。
この頃は見事な長大編成だったのですね。
旅客営業は復活する可能性もありで廃線後もしばらく残されていたそうです。
そういう廃線跡なら歩いて各所を確認するのがさぞや楽しかったことでしょう。

chitetsu さんのコメント...

長岡線は旅客列車の廃止後しか行けませんでした。
コメントにもあった廃線跡、現在の寺泊駅あたりまで延々と続いていたのを追いかけました。
大半の線路と架線柱が残っており、ちょっと幻の世界に踏み込んだような感覚になりました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
旅客営業廃止後の廃線跡が寺泊まで残っていたとは驚きですね。
それを追いかけたのは貴重な体験だったでしょう。
廃線跡で小さな遺構を見つけただけでも嬉しいのに、大半の線路や架線柱が残っていれば全てが絵になりますね。
廃線して大抵はレール撤去から始めて何もかもが消滅してしまうのに、この長岡線は長いこと残されていたようですね。土地(路盤)だけでも今の時代まで残されていたら地方再生で良い活用ができたのではないでしょうか。