1964年3月22日、ともに越後交通栃尾線を訪問した田辺さんの写真から長岡駅に休む様々な車両と東洋工機製で新造された垂直カルダンドライブ車について補足してみました。これら人気の新造電車もツートンカラーになる前のマルーン一色の時代で地味な存在であった。この後、客車牽引から総括制御編成化など次々と近代化の手を打ったが1975年3月に早すぎる廃線で幕を閉じた。
撮影:田辺多知夫氏 1964.03.22
長岡駅の奥にある2線建屋(工場)の前に休むモハ212
2線の車庫 3年後の1967.02.23
悠久山行へ発車した列車
自社工場製ジュラルミン車体のモハ210
貨物線の長大貨物列車
ユニークな電車 モハ209
ガソリンカー→電車化→客車化のホハ25
ホハ23(元江ノ電)
モハ214、そして廃線まで活躍した215は生まれたばかりの新車であった。後に電装解除される。
2 件のコメント:
モハ210の手前に立掛けてある物体は、モハ209とED51のスノープロウと取付ステーでしょうか。
ステー2個にプロウは予備(?)も含めて3個。ひょっとしてプロウは共用だったのかもしれません。
画像をいろいろ検索してみたところ、冬季は片方のデッキの手摺を外してデッキ上にスノープロウを載せ、除雪時のみ前面に装着していたと思われます。定期列車で本格的な除雪をするという豪雪地帯ならではの対応策が、モハ209とED51の異様に広いデッキのデザインを生み出していたとは目から鱗です。
長岡の線路配置図の件で、さすがに一番奥の車庫(工場)裏を写した画像は未だ見つかりませんが、でもきっと誰かが撮影しているはず。
#9999さん
なるほど、モハ209とED51の広いデッキはそういうことでしたか。
長岡駅の車両の周りに写った風景からは実にいろいろなことが見えてきますね。
奥の車庫(工場)の線路配置などは今も不明で出版物の線路配置図は正確でありませんでした。
私も奥の車庫(工場)を写した画像を本やネットで探したのですが見つかりませんでした。
ここまで入って撮る鉄道ファンはいなくても鉄道会社では工場移転前を撮っているでしょうね。
長岡駅の画像1枚1枚を拡大して探索していくとまだまだ面白いことが見つかるかもしれません。
今も謎に包まれている箇所を探索する楽しみがまだ残されています。
コメントを投稿