案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年9月4日金曜日

真夏の福島交通軌道線4

まもなくこの夏も終わりとなりますが、遠い昔のあの炎天下の福島交通軌道線で残された画像からアップしてみます。昭和39年の福島軌道線、変化に富んだ沿線はほんとうに夏がよく似合っていた路線です。

撮影:田辺多知夫氏  1964.07.27

 福島駅前通りを行く貨物列車

 電動貨車ニモ1の馬づらがよく分かります。北町

 日赤病院前のいかにも夏らしい風景

 湯野町から長岡へ向かう湯野町線(飯坂東線)でしょう。
花巻電鉄鉄道線を感じさせる木立と小川と軌道線の組み合わせが魅力的です。

これも湯野町線(飯坂東線)と思われます。

国鉄86と福島電鉄飯坂線の電車が並ぶ福島駅。

4 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

田んぼの中を土埃をたてて走る飯坂東線いいですね。炎天下の福島交通、夏休みが始まったばかりの得も言われぬ解放感が伝わってきます。
山裾へとのびる飯坂東線の砂利道をいつも東北本線の車窓から見てはいましたが、とうとう乗らずじまいに終わりました。
私が福島交通を訪問した時は、行く所行く所泥んこ道で、いつも靴を泥だらけにして帰ってきた記憶があります。貨車たちも泥跳ねの目立たない灰色に塗られていました。

1枚目最後尾のホワ3は初見です。改軌電化時の4両の有蓋車(おそらくホワ1~4)の内、ホワ1~2とは引戸の開放方向が違うようで参考になりました。いつも貴重なお写真ありがとうございます。

katsu さんのコメント...

#9999さん
私も福島交通を12月に訪問した時は泥んこ鉄道でした。
天気が良く雪が解けあまりの泥だらけの電車に興味を失ったものです。
しかし考えてみれば泥だらけの電車や道路はかえって写真のよい題材だったかも知れません。

最後尾のホワ3、よく番号まで分かりましたね。
この木造ボギー貨車は他の貨車に比べて魅力的ですね。
アーチバー台車も車輪も3'6''ゲージとしてはかなり小さめで、軽便サイズよりは大きいようです。
昨日3'6''ゲージの標準アーチバーを見てきましたが、その巨大なこと。
国鉄貨車の台車がいかに巨大かを思い知らされました。

#9999 さんのコメント...

妻面に文字らしきものが読み取れたので、コントラストを上げてみて「3」の文字が判明しました。車体のいたる所に補強が入っていて、何とも凄まじい風貌です。
無蓋車から改造されたホワには、種車の違いにより数種類の車輪径が確認できます。また改修時にも台車の履き換えがあったようです。中でもホワ11や13は滑稽に見える程小さな車輪を履いています。

同じ軌道規格で開業した北陸鉄道片山津線や静岡鉄道秋葉線・東武日光軌道等の貨車には、妻面にも記号番号が表記されている例をよく見かけます。法規で定められていたものと思われますが、軌道法をさらっと見てみて、表記場所の規定までは見つけられませんでした。
貨物を扱う軌道には、一般の鉄道や軽便とは一味違った魅力がありますね。

katsu さんのコメント...

#9999さん
まるで透かしを読み取るような技ですね、恐れ入りました。
妻面に番号表記されているとは全く気がつきませんでした。
ボギー貨車のアーチバー台車がいろいろありそうで何から持ってきたのか知りたいところです。
貨物を扱う軌道線は貨物列車や混合列車で変化あるところが確かに魅力的ですね。