案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年8月28日木曜日

昭和39年 栃尾線長岡駅2

長岡の車庫・工場の線路図と建屋配置の全容は調べてなく諦めていましたが、手元の写真を寄せ集めると車庫・工場の線路図がある程度推定できそうであり、判る範囲を長岡駅線路図に書き込んでみようと思います。

栃尾線の近代化で長岡にあった車庫・工場は昭和42年11月に下長岡へ移転し大変立派な工場となった。それまではモハ212以降の新造車(東洋工機製)を除く様々な自社製造や改造はこんな工場で行われ、度肝を抜く珍奇な車両達の殆どはここで生まれたのでしょう。これらの車両はまるで尺度1/1の模型のようであった。

撮影:1964.03.22
元草軽電車200の脇に背の高い車庫があり、その先に使われない転車台がある.
転車台には珍奇なモハ210が乗っている.自社工場製でアルミ製の背が低い電車.
この電車はなんと一部クロスシートのロマンスカーとして生まれたそうで驚きの軽便電車である。

転車台の先に2線の建屋がある.左の建屋がきっと機械工場なのでしょう.

2線の建屋内では元草軽ホハ23(昭和35年入線)を改装中.
草軽時代からイコライザー式の台車を履いている客車.

右に転車台に乗ったアルミ製のモハ210が見え
転車台の脇に2本の側線があり、1本がもう1棟の建屋へ延びている.

長岡駅の上見附側 線路配置

 左手、貨車の背景に2線の車庫が見える

左手、2線の車庫の先に白ッぽい壁の車庫が見える

4 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

長岡駅にはこんなトワイライトな空間が広がっていたことは知りませんでした。

古い機関区散策はいろんな発見がありわくわくしますね。
オイルの滲み込んだ線路、錆びついた車輪の留置車、廃車体倉庫、首をかしげたくなるようなジャンク類等々・・・。
本線上からでは決して分らない、人間で言うと内面性を垣間見るようなえも言われぬ趣がありますね。
こんな時は決まって鼻歌交じりで、それがNHKの「みんなのうた」だったり、なんてことない曲ばかりなのですが当時の記憶とオーバーラップします。

katsu さんのコメント...

#9999さん
古い機関区散策、いいですね。
昔は宝の山でしたね。
私はそういう風景の素晴らしさについて、これもまた今頃になって気付きました。
当時は車両ばかりに目が行って、機関区や車庫周辺はハーフサイズカメラでついでに撮っていました。
今見てみると35mmカメラよりハーフサイズカメラで撮った裏の風景がずっと宝物に見えて来ました。
ハーフで撮ったネガにはまるでクジラのように1点の無駄もありません。
それに較べ、添景、背景の無い車両写真は単なる資料に過ぎません。

車楽齋 さんのコメント...

katsuさん
長岡の構内配置スケッチがレイルロード社発行の今井啓輔著「私が見た特殊狭軌鉄道」第2巻に載っています。配置図は、私も写真を撮るだけでしたが本書で見ていると、写真が記録だけではなく当時の息吹も伝えているので、描いて残すコトをしていなかったことが悔やまれます。

katsu さんのコメント...

車楽齋さん
ご教示ありがとう御座いました。
長岡駅構内配置は何かの本に既に発表があることは予想していました。
しかし、答を見てしまうと推定する楽しみはは不要になるので
最後に照合して答え合わせをしてみたいと思います。
今はブログに時間が取れませんので超スローペースでのんびりやっています。
今井啓輔様の素晴らしい「私が見た特殊狭軌鉄道」は第1巻を持っていますが
フリーハンドで描かれた簡易軌道や林鉄の構内配置図が魅力的ですね。