昭和39年当時の栃尾線長岡駅は軽便としては立派な駅で、構内をメモしなかったため構内線路図を描こうにもホームが何本あるのか不明だらけであった。そこで工場・車庫を除く駅の配置を推定しようとまずは訪問記と写真を並べてみました。
訪問記
昭和39年3月、5時過ぎに列車は信越本線長岡駅に到着した。ところがあいにくの天気で外は小雨がパラついていた。駅内で立ち食いゾバを食べてから細い通路をわたり栃尾線の乗り場へ向かった。人ひとり居ないうす暗いホームには悠久山行きの電車が待っていた。始発で上見附まで行くことにして切符を買った。やってきた栃尾行きは驚いたことにあのデッキ付ゲテモノ電車であった。
国鉄長岡駅から栃尾線のりばに行くこの細い通路とは? 一旦外に出て通路を通った先で切符を買っているので構内の跨線橋ではなく地下の連絡通路を通ったのでしょう。昔長岡駅に細い地下連絡通路があったのは間違いなようだ。現在は明るくて広い地下連絡通路ができているのでしょう。
撮影: 特記以外 1964.03.22
国鉄長岡駅西側. ここから東側へ抜ける細い長岡駅地下道 があった.
左手が栃尾駅1番線ホームで、そこに改札口と駅舎があった。
栃尾線長岡駅は軽便としては立派な駅で1~3番線のホームがあり、案内表示によると3番線が悠久山行き、1番線が栃尾行きとなっているがこの1番線の電車は悠久山方面を向いている。
早朝の薄暗いホームで悠久山行き電車が雨に濡れて待っていたのがこの3番線ホーム.
ホームは左から3番線、2番線、1番線となる.
国鉄側に更に2本の線路があり1番線2番線ホームと思っていた(とすると5番線まである)が
左のホームに4番線の表示があり、右のみが貨物ホームであったようだ.
後に右のホームと貨物建屋は撤去されている。(昭和45年8月 貨物廃止)
長岡駅の全体. 右に貨物線と4番線、中央に1番線2番線があり左手に工場・車庫がある。
8 件のコメント:
栃尾線、今あったらどんなに近代的な路線になっていたでしょうね。
ひょっとしたらVVVFの垂直カルダン車もあったのかも知れませんね。
宵闇さん
そうですね。
栃尾線がもし残されていたらかなりの近代化が図られていたでしょうね。
軽便では珍しくあれだけ車両の近代化を図りながら
その後あっさり廃線とは悲しい運命。
廃線直前に見た立派な工場が印象的でした。
素晴らしい写真の数々、感動致しました。
ユニークな電車達の姿を見て見たかったです。
もう少し長生きして欲しかったです。
Chitetsuさん
ありがとうこざいます。
ほんとうに楽しい軽便電鉄線でしたね。
まるで模型のような改造や編成は模型化の良き題材であったと思います。
驚きの車両ばかりで、これほど車両を楽しめる軽便は他になかったと思います。
ED51の牽く長大貨物列車に圧倒されました。長さでは引けを取らない仙北鉄道と比べ、デッキと自連の付いた機関車のせいか迫力では栃尾線のほうが勝っていますね。
長岡駅の頭端式ホームは貨物用だったのですね。また、栃尾線の列車は完全に客貨分離されているものと思っていましたが、Katsuさんの写真で混合列車の存在を初めて知りました。
#9999さん
軽便と言えばトロッコ線イメージに対し、栃尾線はそれとは対極の立派な旅客営業線でしたね。
貨物も迫力ある本格的な機関車が牽く長大編成、電車もその後の近代化で立派な編成。
見掛けは36ゲージ鉄道並みに立派でしたが、
何もかもが36ゲージに比べて遥かに小さくて可愛らしい。
変わらないのは乗客の大きさのみ。
こんなところに軽便の面白さがあったと思います。
私が客貨混合列車を撮った頃は混合列車最後の時代だったかも知れません。
5年前のブログにコメント失礼いたします。
質問とお願いがあります。
1.1964年当時は栃尾線は4番線まであり、貨物線が一本あったと言う解釈でよろしいでしょうか。また、その当時は
2.1968年の写真で栃尾線1番線の横に4番線の表示がありますが、これは国鉄4番線でしょうか。また、1964年にもそのホームはあったのでしょうか。
そしてお願いです。wikipediaで長岡駅栃尾線の項を執筆したいのですが、参考文献として掲載(リンク)してもよろしいでしょうか。
Unknownさん
旅客ホームは1~4番線まであり貨物ホームが1本ありました。その通りです。
1番線ホームの反対側に4番線がありますが、順番が変ですね。
これは国鉄ではありません栃尾線用なのです。
国鉄のホームは地下道を通ったずっと先にあって栃尾線とは離れています。
栃尾線長岡駅は謎が一杯ありますが、参考文献としてのリンク了解しました。
コメントを投稿