案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年8月20日水曜日

昭和39年 栃尾線長岡駅1

昭和39年当時の栃尾線長岡駅は軽便としては立派な駅で、構内をメモしなかったため構内線路図を描こうにもホームが何本あるのか不明だらけであった。そこで工場・車庫を除く駅の配置を推定しようとまずは訪問記と写真を並べてみました。

訪問記
昭和39年3月、5時過ぎに列車は信越本線長岡駅に到着した。ところがあいにくの天気で外は小雨がパラついていた。駅内で立ち食いゾバを食べてから細い通路をわたり栃尾線の乗り場へ向かった。人ひとり居ないうす暗いホームには悠久山行きの電車が待っていた。始発で上見附まで行くことにして切符を買った。やってきた栃尾行きは驚いたことにあのデッキ付ゲテモノ電車であった。

国鉄長岡駅から栃尾線のりばに行くこの細い通路とは? 一旦外に出て通路を通った先で切符を買っているので構内の跨線橋ではなく地下の連絡通路を通ったのでしょう。昔長岡駅に細い地下連絡通路があったのは間違いなようだ。現在は明るくて広い地下連絡通路ができているのでしょう。

撮影: 特記以外 1964.03.22
国鉄長岡駅西側. ここから東側へ抜ける細い長岡駅地下道 があった.

左手が栃尾駅1番線ホームで、そこに改札口と駅舎があった。

栃尾線長岡駅は軽便としては立派な駅で1~3番線のホームがあり、案内表示によると3番線が悠久山行き、1番線が栃尾行きとなっているがこの1番線の電車は悠久山方面を向いている。

早朝の薄暗いホームで悠久山行き電車が雨に濡れて待っていたのがこの3番線ホーム.

ホームは左から3番線、2番線、1番線となる.

国鉄側に更に2本の線路があり1番線2番線ホームと思っていた(とすると5番線まである)が
左のホームに4番線の表示があり、右のみが貨物ホームであったようだ.
後に右のホームと貨物建屋は撤去されている。(昭和45年8月 貨物廃止)

長岡駅の全体. 右に貨物線と4番線、中央に1番線2番線があり左手に工場・車庫がある。

長岡駅の悠久山側の線路配置

1番線ホームのゲテモノ電車209

4年後の長岡駅、1番線の向こうに4番線のりばの表示がはっきり見える. 1968.8.17

6 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

栃尾線、今あったらどんなに近代的な路線になっていたでしょうね。

ひょっとしたらVVVFの垂直カルダン車もあったのかも知れませんね。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
そうですね。
栃尾線がもし残されていたらかなりの近代化が図られていたでしょうね。
軽便では珍しくあれだけ車両の近代化を図りながら
その後あっさり廃線とは悲しい運命。
廃線直前に見た立派な工場が印象的でした。

chitetsu さんのコメント...

素晴らしい写真の数々、感動致しました。
ユニークな電車達の姿を見て見たかったです。
もう少し長生きして欲しかったです。

katsu さんのコメント...

Chitetsuさん
ありがとうこざいます。
ほんとうに楽しい軽便電鉄線でしたね。
まるで模型のような改造や編成は模型化の良き題材であったと思います。
驚きの車両ばかりで、これほど車両を楽しめる軽便は他になかったと思います。

#9999 さんのコメント...

ED51の牽く長大貨物列車に圧倒されました。長さでは引けを取らない仙北鉄道と比べ、デッキと自連の付いた機関車のせいか迫力では栃尾線のほうが勝っていますね。

長岡駅の頭端式ホームは貨物用だったのですね。また、栃尾線の列車は完全に客貨分離されているものと思っていましたが、Katsuさんの写真で混合列車の存在を初めて知りました。

katsu さんのコメント...

#9999さん
軽便と言えばトロッコ線イメージに対し、栃尾線はそれとは対極の立派な旅客営業線でしたね。
貨物も迫力ある本格的な機関車が牽く長大編成、電車もその後の近代化で立派な編成。
見掛けは36ゲージ鉄道並みに立派でしたが、
何もかもが36ゲージに比べて遥かに小さくて可愛らしい。
変わらないのは乗客の大きさのみ。
こんなところに軽便の面白さがあったと思います。
私が客貨混合列車を撮った頃は混合列車最後の時代だったかも知れません。