案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年6月3日火曜日

奥山線 谷駅周辺風景

今までに何回もアップしてきました谷駅周辺の写真を再度並べて、国土地理院の地図上で撮影場所を確認してみました。谷駅周辺には小さな鉄橋が3箇所くらいあるようで、あの農家と鉄橋のある風景はずっと祝田寄りだったようです。地図には谷~祝田間の築堤で下をくぐる農道or小川までは記入がなく撮影場所は未だ決定的ではありません。
現在の航空写真を見るとあの長閑な谷駅の水車小屋辺りには変電所、一軒家の農家があった平地にはハチ切れんばかりの住宅が密集。よりによってこんな環境を巨大宅地開発してしまったのは何があったのでしょうか。しかし浜松に限らず日本中至るところでこういう開発がされて来たのでしょうね。

 奥山線 都田口~祝田間と撮影場所 国土地理院1/5万S35年(地図は夢遊生活の日々さんより提供) 
カラー矢印は下のモノクロ写真の撮影位置です.

赤ラインは奥山線廃線跡で 都田口~祝田間の現状はこうです. Google航空写真より 
細いくねくね坂だった国道257号線が廃線跡を飲み込んで立派な道路になっている

上の拡大写真

以下写真は谷駅から祝田へ向かって並べたものです。 全て1964.03.23撮影
都田口から坂を下りゆるいカーブを曲がると谷駅に到着する. 撮影位置 ①グリーン矢印


谷駅.撮影位置 ①グリーン矢印

谷駅を発車し築堤上を祝田へ向かう. 撮影位置 ①グリーン矢印 

築堤を行く線路にある小さな鉄橋は農道をまたいでいるようだ.撮影位置 紫矢印

農家のある風景、そして写真上の築堤と鉄橋を谷へ向かう列車. 撮影位置 水色矢印
小さな鉄橋から谷駅の手前と長年思い込んでいたが、そうではなく祝田寄りでした。
今現地調査を進めている小栗さん、城東電軌さんのお陰です、ありがとうこざいました。
消えた国道クネクネ坂と線路の位置関係は国土地理院の地図を見てもよく判りません。
やっと判りました。

ホコリまみれのクネクネ坂は何回か奥山線に接近しては離れる.正確な位置は不明
ここの旧道の名残が今でもあるようだ.

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6 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

谷駅は中電変電所前だったのですネ
5年前に訪れたのですが見落としました。
すぐ手前の画像が有りますので
御関心があれば送ります。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
変電所の前が昔の谷駅の位置のようです。
駅の下に細長く拡がっていた谷地の全てが変電所になった訳ですね。
私も10年前に都田口から谷駅下って行くところの廃線跡を撮りましたが、
変電所のあまりの光景に驚きその先に残る廃線跡まで気が回りませんでした。

小栗②@浜松 さんのコメント...

浜松在住の小栗と申します。
写真を投稿されている小栗さんとは別に、私も奥山線の廃線あとを近年たどっています。同姓同郷の方が同時期に探索していることを知り驚いています。

谷駅の駅周辺は私の通勤路です。
しかしこれまで、谷駅の写真の場所がどうしても分からなかったのです。しかし今日このページを拝見し、矢印付きの分かりやすい解説で、「あそこか!」と納得することができました。ありがとうございました。

訪れて現在の様子を撮影したいと思います。

katsu さんのコメント...

小栗②@浜松さん
コメントありがとうございました。
昨年、この奥山線谷駅一帯は絶滅したギフチョウが舞う里山であったことを知りこの地に俄然興味が湧いてきたのでした。

チョウ研究家によるキトリナ通信によれば今もチョウの餌となるヒメカンアオイが生息しているそうで、廃線跡の現状写真を現地の方からが送っていただき今なおロマン溢れるこの地に惹きこまれました。
今では大きく変貌してしまったこの里山も谷駅の祝田側には自然が残されているようで大変貴重な自然遺産であると思います。チョウ愛好家と廃線跡愛好家がギフチョウの舞う里山とそこを走った奥山線の事を偲ぶことができたら素晴らしいですね。
その後の現地の情報や写真などありましたら是非とも教えてください。

小栗②@浜松 さんのコメント...

小栗②@浜松です。

最後の写真、ここかなぁ…です。


https://goo.gl/pMuy3W

katsu さんのコメント...

ここで間違いないとおもいます。