案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月2日日曜日

京阪京津線 雨の京都三条通

京阪電鉄淀屋橋行き流電1100型.向こうに京津線の電車が見える. 三条 1964.07.10

京阪に乗り入れた近鉄430型.  三条
430型は近鉄京都線の前身奈良電鉄が開業時に用意したデハボ1000型、
近鉄車による奈良から三条行きが運転されていた.

三条駅の出口案内には「浜大津行方面⑤ ⑥ ⑦番のりばへ」とある.

阪急京都本線の次に向かったのは京阪電鉄で、写真に写った表示板からすると駅は「三条」であった。京阪の三条駅には京阪の流電1100型や元奈良電など変化に富んだ電車が並ぶ時代であったが、撮っている私はそんな楽しさに気付かなかった。
目指すのは三条の京阪のホームの先に小さく見える電車で、京阪京津線はここから発車していた。雨の京都三条通を行く光景はさすが京都らしく、古い路面電車タイプの50型、70型が三条通によく似合っていた。


三条駅を発車するとすぐ右へカーブし三条通へ入る.

三条通を浜大津へ向かう.

雨の三条通 「いろは館」の前を行く




古い路面電車タイプの50型、70型が似合う三条通の光景.

10 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

三条駅の奈良電乗り入れ、当時の昇圧の問題から止むを得ない部分が多々あったとは思いますが、今でも継続していたら楽しかったのにと思います。
川造タイプの430形も両運転台の1900も懐かしいですね。
それ以上に京津線電車の背景の三条駅前風景の余りの変化にびっくりしました。

Cedar さんのコメント...

京都の電車らしさが溢れた写真の連続に感激でございます。
三条通りの京津線、街並みの落ち着きと電車のマッチングが絶妙です。260、80、70、50~涙が出ますね。72だけは寝屋川車庫に生き残ってるのでしたね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、
京阪の三条駅は撮った記憶が消えてしまって、奈良電(前年に近鉄に合併)が乗入れていた
なんてスキャンして初めて知りました。
現在の三条駅には行ったことがないのですが、この辺りは激変なんでしょうね。
私には今の京都の私鉄は各駅名すらもよく判りません。

katsu さんのコメント...

cedarさん、
京阪京津線は貴ブログによく登場していたようできっとお気に入り路線なのでしょう。
京津線では260型や80型のことは覚えていたのですが、
こんな古い電車70型、50型がいた記憶がなく撮った自分が驚いています。

なかっちょ さんのコメント...

こんにちは。

嵐電・阪急・京阪と懐かしい、と、いうよりは、まだ子供で、
電車の形式も見分けられない頃の写真ですが、記憶に残る
写真ばかりですね。

このころは、まだ近鉄京都線は、奈良電、阪急京都線は、
新京阪とよんでいたように思います。

特に阪急の2300系の乗り心地の良いの
には、びっくり
しました。まだ吊り掛けモーターの電車やSLさえも、
いくらでも走っていた時代ですから。

katsu さんのコメント...

なかっちょさん、こんにちは。
京都は今も魅力的な私鉄が楽しめて羨ましいです。
そうでしたかこの風景の頃は子供時代でしたか。
この頃の阪急京都線はまだ新京阪線と呼ばれていたのですか、
社名が変わっても地元では新京阪が馴染んでいたのでしょう。
それにしても「新京阪」という名称は何とも云えないイメージがありますね。
阪急の2300系は今でも古さを感じさせない素晴らしい電車で、今も現役に驚きました。

T.F さんのコメント...

昭和39年の京阪三条駅、懐かしいですね。1102が停車している1番線は線路が京津線と繋がっており、時折団臨(京津線、石坂線沿線の小学校の枚方パークへの遠足が多かった)で「びわこ号」が直通していました。

近鉄430形の奈良行は、当時丹波橋駅が京阪と近鉄の共同使用駅(所有、管理は京阪)のため相互乗入れを行っており、京阪は宇治発の電車の一部が近鉄京都駅まで運転されていました。双方ともに丹波橋で乗務員の交代なしで他社線に乗り入れておりました。乗入れ車の運転間隔は共に昼間のみ1時間間隔でした。

単行の1926を撮影されておられますが、夕方のラッシュ時の増結車で深草から回送されて来たところです。当時特急はラッシュ時5連、昼間3~4連でした。

京津線の72は東山三条~蹴上間で撮影されたと思います。
電車もさることながら、一緒に写っている乗用車、京都バスを含め、当時の京都の情景をよく捉えられており貴重な記録です。

常夜燈 さんのコメント...

京阪三条辺りも変わりましたが
80型の脇の「篠田屋」食堂はそのまま
「いろは旅館」は建て替えられました。
修学旅行で泊まった方もあるかも。
72の脇の「千鳥酢」も近年建て
替えられました。最後の写真は
神宮道付近ではないかと思います。

katsu さんのコメント...

T.Fさん
私にとって関西私鉄は今調べて初めて知ることばかり、
昔撮った京都を関西私鉄通のT.Fさんに見て戴き冷や汗ものです。
京阪の三条駅について当時の興味深い情報を書込み下さりありがとうございました。
当時のいろいろな背景を知ることで写真の楽しみが倍増してきます。
1926がまさか単行であるとは気付きませんでした。
その昔のあの「びわこ号」はこの1番線から京津線へ直通運転していたのですか。
現在の地下化された三条駅の上の街並をネットで見ると、
話題多き遠い昔の三条駅の思い出をもっとしっかりインプットしておくべきでした。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん、
アドバイスありがとうございました。
写真にあった「いろは館」の今はいろは旅館と名称が変わっていましたが、
やはり昔からある大きな旅館だったのですね。
三条の駅の一角は大きく変われど、三条通り沿いの由緒ある店や工場などは建替えられていろいろと残っているようですね。
昔の写真を持ってこの通りを歩いてみたいものです。