案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月19日水曜日

山形交通高畠線5 高畠線の車両

モハ1  高畠 1966.3.6
 高畠線電化時に購入された昭和4年日車製デハニ1. その後西武所沢工場でモハ1に改造

モハ2
モハ1と同形の昭和8年日車製デハニ2で、昭和37年所沢工場でモハ2に改造.

モハ3  元西武多摩湖線のモハ101形で、元々は所沢工場でクハ1114として製造された.
山形交通三山線、羽後交通雄勝線、豊橋鉄道渥美線でも同形を見ることができた.

モハ4
元西武の川崎造船所製クモハ156で昭和41年2月に入線.
写真は入線翌月でマルーンと桃色に塗り分けられた更新車はまるで新車のようであった.

ED2 元鳳来寺鉄道のデキ50で大正14年英国EE社製

ED1 昭和4年の電化時に川崎車両から購入しその後西武所沢工場で更新改造.

ハフ3 元国鉄のホハを昭和28年に払下げを受けた明治44年日車製
ラッシュアワーに使われたそうだ.

ハフ1 開業以来の生えぬきで大正11年日車製

ハフ2  一本柳

4 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

高畠線の電車と機関車、客車・・
どれをとってもまさに田舎電車の典型的な陣容ですね。
でもその典型的な事例と思う事例というのは意外と探すと事例としては少ないような気がします。
個人的にはそんな車輌達とうっすら雪化粧の世界がベストマッチングな気がします。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、
田舎電車の典型的な陣容は正にその通りで、この後、廃線になるまで魅力ある陣容をよく残しましたね。
こんな地方私鉄が見れない時代になってしまうと、高畠線はchitetsuさんの模型の世界のようです。
あの時代は西武所沢工場製の再生車が東北各地で良い味を出していました。
現地仕様への改造を施す所沢工場の魅力も、まるでchitetsuさんの模型工場のようです。

T.F さんのコメント...

高畠線は3回訪れましたがモハ1は振られっぱなしで、遂に現役時代撮影できませんでした。
初訪問は昭和41年9月2日で、上野駅22時45分発奥羽本線経由青森行で行きました。夜行列車なのにほぼ全駅に停車して8時20分糠ノ目に到着するとモハ4が停まっておりました。高畠~二井宿間は運休のため、高畠駅構内に停車していた車両を撮影後、モハ4で戻りました。翌年の9月1日に訪れた時はモハ2でした。
最後に訪れたのは46年5月27日で、モハ2+モハ3の2連でした。どちらも直接制御車のため、先頭車がMで2両目はT扱いになっていました。
近江鉄道の超小型車ハニ22が西武所沢工場で車体延長、窓枠のアルミサッシ化等大改装されクハ1となっていました。台車はTR10を一回り小さくしたものに履き替えていました。多客時にモハ4と組んで使用されていたものと思われます。また、廃止になった尾花沢線から元西武の小型車ハフ3が転入していましたが使用されている形跡はありませんでした。

話が前後しますが、45年9月14日西武小手指検車区にハフ1、ハフ2が停まっており、不思議に思いました。

撮影できなかったモハ1は幸いにも旧高畠駅にED1と共に保存されており、近々見学に行きたいと思い、行き方を調べると元糠ノ目の高畠駅から路線バスは無く、米沢駅からのバスが平日のみ僅か3往復半と半ば陸の孤島状態になっています。

katsu さんのコメント...

T.Fさん、
東北の高畠線に3回も訪問されたとは大変な熱意でしたね。
初回の昭和41年9月2日訪問で高畠~二井宿間の運休は直前の夏の出来ごとで残念でしたね。
私は台風で橋脚が損傷する前3月の訪問で、かろうじて全線を撮ることができました。
この頃は訪問した後に直ぐ消えてしまった路線が各地にあり、滑り込みセーフばかりでした。
高畠のあの小さな電車同士モハ2とモハ3が2連で走っていたとは・・・・これは魅力的ですね。
私は腰の低いモハ3のスタイルが特に好きです。
旧糠ノ目まで新幹線で気楽に行けるようになり、
すっかり忘れてしまった高畠線の残影を求めて私も一度訪ねてみたいものです。