案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年5月15日火曜日

都電5系統 白金を行く

渋谷から34系統に乗って明治通りを渋谷橋、天現寺橋と進むと古川橋に到着します。昭和42年の古川橋界隈は道路拡張の工事中で殺風景な風景ばかり。ここは後回しにして古川橋を通る5系統(目黒駅前~永代橋)を目黒駅前から古川橋までおいしい処だけ追ってみます。

「祝目黒駅完成」の表示から目黒駅ビルが完成直後だったのでしょう.
目黒駅ビルは築後45年経って今も変わらない.
手前の分岐線は目黒車庫へ向かう.1967.12.03


目黒車庫には5系統4系統の小型車1000、1100形が配置されていた.

日吉坂を下る古川橋行(何故か表示が4番). 日吉坂上-清正公前 
目黒駅前から迎賓館を左手に見て高級住宅地「白金」を走り、国道1号線桜田通りに出る清正公前までは静かな白金の雰囲気が漂っていた。この5系統の地下を今は東京メトロ南北線が走る。


日吉坂を下った先をカーブする. 道路整備で今では失われてしまった白金の風景.クリックで拡大
現在の風景




清正公前
この先に片側3車線の巨大な国道1号線桜田通りが出来ていて
巨大道路の真ん中を走る5系統4系統の風景は既に殺伐とした風景になっていた。


2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

またまた素晴らしいですね~
目黒車庫の建物はつい最近までバス営業所として残っていたと思ったら、きれいさっぱり消えていましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
目黒駅近くに目黒車庫があったこと、
そして目黒車庫の内部を撮っていたこと、
静かな白金風景を撮っていたこと等など
今回のスキャンで初めて知りました(笑)
ほんとうに記憶はあてにならないものです。
バス営業所として残っていた車庫の建物は見ておきたかったです。