案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年5月24日木曜日

都電 銀座通り

昭和42年11月の銀座四丁目の光景。これを撮った14日後の12月9日を最後に1系統他と伴に8系統(中目黒~築地)、4系統(五反田~銀座二)も銀座四丁目から消えた。
昭和41年に大衆車サニー、カローラが発売され、晴海で開催された東京モーターショーは大変な熱気であった。この銀座四丁目の晴海通りはそんなマイカーが身近な存在となってきた車社会到来の時代が思い起こされる。街行く人々に夢と希望が溢れ、昭和40年代の日本は経済大国への道をまっしぐらに進んでいた。


銀座4丁目の光景. 三越が改装中 1967.11.26 クリックで拡大


4丁目の中央通りを行く4系統五反田行


4丁目の晴海通りに8系統9系統11系統が走る


銀座の柳を行く1系統  



前年の大衆車サニー・カローラの登場でマイカー時代が到来  1967.11.03


東京モーターショーに詰めかけた人々の熱いまなざし

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