案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年5月22日火曜日

都電 古川橋の昭和42年と今

街の変貌ぶりはGoogleストリートビューで鮮明に見れますが、それだけでは判らない何かを求めて
自分の足で歩いてみました。

↑古川橋側から見た「魚藍坂下」電停あたり      1967.12.03
魚藍坂の交差点を過ぎると直ぐに「魚藍坂下」電停に到着する.

↓ここでゆるくカーブすると首都高下の古川橋電停に到着する.
古川橋手前の通りの昭和42年と今. 
当時「古書買入」「小川商店」や「写真スタジオ」の看板を掲げていた店は今もある.


古川橋電停の昭和42年と今. 首都高速の下を古川が流れる.
魚藍坂を下ってきた都道「高輪麻布線」上の都電は、古川橋で白金1丁目と南麻布2丁目の境を流れる古川を渡り、渋谷から来た34系統金杉行と合流する。
ここから「一の橋」まで当時は道路が拡張工事中で、この道路の下を今は地下鉄南北線が走っている。古川橋界隈の白金や南麻布の一帯には中小の機械工場が多く、表通りには工具や部品の看板が並らぶ町工場地帯であった。今もその面影を残している。

古川橋から見た都道415号「高輪麻布線」の昭和42年と今.

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