案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年9月22日木曜日

雄勝線 古典車両2

羽後交通雄勝線の古典車は、どれも見事に整備されていてとても美しかった。
赤味がかったコゲ茶の木造車体に、まっ黒に塗られた足回り、古典車の気品を感じたものだった。
汚れていたり、くたびれたような箇所はなく車両が活き活きとし、整備マンの心意気、会社の方針、どちらにしてもお客様に気持ちよく乗って頂くことが徹底されていたのでしょう。
動態保存のような美しい客車がごく普通の日常に使われていたのが素晴らしかった。
雄勝線の古典車を模型化するなら、塗装仕上げのままとしウェザリングで汚すことは不要でしょう。


デハ3  西馬音内  1964.8.6   ポップアップ


デハ3とデハ1  西馬音内   ポップアップ
開業からの生え抜きで昭和2年蒲田車両製.楕円の戸袋窓が魅力的.
2両の単車は西馬音内電車区でしきりに古典車の入替えをやっていた。

古典2軸客車ハフ11(明治41年製)

ハフ13 14(大正元年製).この日はハフ14が出動していた.
よく手入れの行き届くいたハフ11 13 14の3両は明治村に引き取られた。



西馬音内電車区の車両工場
古典車はここでしっかりと手入れされていた。

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

田舎電車=手入れを怠ったおんぼろ車両と朽果てたような施設、というのは間違い!ということがよく理解できるお写真です。
きれいに整理整頓された車庫の中や、軌道の美しさも印象的です。
貴兄のお写真を見ていると、物質的な豊かさだけで計れない、この時代の日本人の<凛とした暮らし方>にまで思いが及ぶのです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
いつもコメントありがとうございます。
凄い鉄道が写真で判って戴けましたか!
オンボロ車両ではないので写真写りが良いのです。
雄勝線は格別な田舎電車であったと思います。
当時の日本人の「凛とした暮らし方」の表現が良いですね。私もその思いがします。
古い車両を大切に使う、非効率でも別の豊かさがあった鉄道と思います。

青蛙 さんのコメント...

ローカル線を訪ねると常に意外性を感じます。この雄勝線も貴兄と2人で尋ねたところですが非常に高印象を持っています。
きれいな水田と雄物川mその脇を自転車で
学校に向かう生徒や、学生と通勤客を満載したよく手入れされたポールの電車。
これらの風景は原日本風景でしょうね。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
この頃は乗客が多かったですね。
通勤時は満員でした。
美しい田んぼが印象的でしたが、秋田の米どころで
雄勝郡雄勝町はこまちの郷でした。
西馬音内の幻想的な盆踊りなど
雄勝線の沿線は話題が尽きませんね。

SME さんのコメント...

 管理人様初めまして。鉄道ファンの名連載「古典ロコ 軽便 田舎電車 そして・・・」以来の地方私鉄好きです。   雄勝線の車両を見ていると、内燃切替の頃の銚子電鉄の譲渡打診の話を思い出します。 4両とか5両の譲受オファーがあったそうですが、ひょっとするとデハ1や3も含めた感じがします。金額で折り合いがつかずに実現しなかったとか・・・雄勝線のデハ1が銚子のハフを引いて犬吠辺りを走っていたかもしれない、デハ5が雨宮台車の101号と仲ノ町で並んでいたらと思うと、模型で時代のIFを再現したくなります。

katsu さんのコメント...

SMEさん
はじめまして。
雄勝線が電化をやめる時に銚子電鉄へ譲渡の話があったのですか。
デハ1、3やデハ5がもし譲渡されて、今もイベントなどで活躍していたら大変な観光資源になったでしょうね。
私は雄勝線で塗りたての元都電のデハ5に最も惹かれました。
なんという事のない元都電をこれほどまでに魅力的にしてしまうのが雄勝線でした。
今年も8月16日から始まる幻想的な「西馬音内盆踊り」、雄勝線の電車はこの土地がとてもよく似合っていました。