その頃、私はまだカメラもなく、東京から東金は遠い地で訪問を断念した。私にとって九十九里は憧れの軽便であり、軽便中の軽便を見なかった悔しい思いは今も続いている。
廃線から14年経った1975(S50)年5月の連休に東金駅の跡を訪ねてみると、そこには14年間も放置され続けた車両と軌道の跡かたがあった。
廃線後は遊園鉄道に車両を活用する計画だったらしいが、まさか廃線後14年も経って車両の一部が残っているとは思いもよらなかった。丸山車両製の単端キハ102やボギー客車ケハ111は解体された残骸のみであったが、ボギー貨車ケワ50形は台車をつけた姿で2両残っていた。駅構内のナロー軌道は残っていたが、その日はレールの取り外しや残骸整理の作業をやっていた。
九十九里鉄道の跡は、レールが残る軌道だけでも嬉しいが、整理直前のボギー貨車に会えたのは幸運だった。さっそく寸法を測りすぐ模型にして楽しんだものだった。
九十九里鉄道の跡かた ケワ50形 東金 1975.5.3 |
4 件のコメント:
懐かしい写真ですね。小生のはまだネガの状態ですから当時を思い出します。
九十九里鉄道にはI君と行くことになっていましたが、方向変更して富士山麓鉄道似行ってしまい、悔やんでいます。
残骸で当時をしのぶばかり。この写真で悔しさが倍増しました。H.W
H.Wさん
撮りっぱなしでネガのままは、私だけではないようで安心しました。特にカラーが普及し始めた70年代以降のネガがひどいです。
埋もれたネガから九十九里もやっと陽の目を浴びました。
14年間も放置され続けた車両と軌道,谷津遊園地での再利用がだめになったのがこのころでしょうか。線路をはがす光景にむなしい思いがいたします。写真は事実を訴える説得力がありますね。車両写真のみではわかりません。状況写真の魅力を感じ取ります。青蛙
青蛙さん
単端とボギー客車の残骸は目をそむけたくなる光景で、画像のアップを控えました。
悲しい光景です。
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