案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月12日火曜日

京福電鉄福井支社 福井口

1968年の京福電鉄福井支社と、生まれ変わった「えちぜん鉄道」の福井口の今昔を比較してみると、ホームや線路配置は今も昔の面影を残している。本線と三国線が分岐する福井口では、当時多くの車種を見ることができ、いかにも京福という電車もまだまだ数多く活躍していた。

福井口  1968.1.14

40年後の福井口 2008.10.13

そして福井口ではこんな車両も見ることができた。

テキ501   福井口 1968.1.14


テキ512 (元国鉄EC40形)   1968.1.14

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

テキ501の後ろに写っている蒸機の止まっている処は本線ではないですよね?。新福井なら“ちょっと本線”も考えられますし、実際、旅客列車の編成で使っていたのを良く見ましたから不思議はないのですが、福井口はそこから1キロ先ですからそんなことは不可能です。それにしても私鉄の貨物列車のお迎えに蒸機が来るという…、何とものどかな風景ではあります。

匿名 さんのコメント...

40年前と最近の写真を比べて気がついたのですが、お使いのレンズは当時としては珍しい35㍉クラスの広角レンズだったのではありませんか?、あの頃はカメラを買うと付いてきたのは50㍉のいわゆる標準レンズといわれるもので、それではテキ501と蒸機を入れての写真は余程引かないと撮れないのです。今でこそ広角レンズが幅をきかせていますが、当時は「通」といわれる人しか持たなかったレンズなので写真を見て、「この人は写真を解かっていたんだなぁ…!」と敬服しました。

匿名 さんのコメント...

僕は鉄道の廃線跡探訪を趣味にしています。以前は登山だったのですが、心筋梗塞の発作を起こしてからそれに鞍替えしました。カメラを肩に結構歩きますし、コンパスや地図も使いますので同じように楽しめます。廃線跡探訪で厄介なのは丸岡と西長田を結んでいた京福の丸岡線です。大抵の廃線跡は農道やサイクリングロードとして残っているのですが、この線は廃線跡を農業用水路に使ったので何の痕跡もないのです。幸いなことに当時の写真はありますし、それらは殆ど50㍉の画角で撮られていることから背景の山影などを50㍉の標準レンズ付きの一眼レフで覗いた現在と比較して撮影位置(線路跡)を特定しています。

匿名 さんのコメント...

テキ501の後ろに写っている蒸機は何処から来たのでしょう。当時でも北陸本線と京福電鉄の線路は60㌢位国鉄のほうが高く、僕の記憶ではそこに分岐はなかったので蒸機は福井駅の貨物用連絡線(三国行き電車の写真の右下に見える線路)から京福の路線に入り福井口に来たとしか考えられないのですが、福井~福井口を蒸機が走った話は聞いたことがないのでやはり“永遠の謎”か…、

katsu さんのコメント...

匿名さん
いろいろと情報やコメントをありがとうございました。
京福永平寺線などさらっと載せただけの路線は、これから詳しくアップして行く予定です。丸岡線の取上げもこれからです。
また当時の福井~福井口は判る範囲内を調べてアップして行きます。今後ともどうか宜しくお願いいたします。

匿名 さんのコメント...

近所の古い撮り鉄のお爺さんに尋ねたら、蒸機の止まっている処は福井口駅構内に北陸線と平行して敷かれた線路(本線との連絡はない)の上だそうです。
 次に、福井~敦賀間を旅客列車を引いて走っていた元機関士のお爺さんにどうしてそこに行ったかを聞いたのですが、福井から北は乗務区間外で分からない、知りたければ南福井で操車をやっていた者に聞いてくれとのことでした。(すごい縦割り社会だったのですね、国鉄って・・・、)