案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月16日土曜日

栃尾線 3両の松井車両

松井車両と言えば地方私鉄で活躍したガソリンカー、そのトレーラ化した姿を各地でよく見掛けたもので、無骨なスタイルが何とも言えない魅力であった。
1964(昭和39)年、栃尾線には松井製ガソリンカーのなれの果てのトレーラが3両活躍していた。ずんぐりして軽便客車としては大きな車体で直ぐそれと分かった。このトレーラ、元々は荷台付きの片ボギー・ガソリンカーで、エンジンをモータに載せ換えて電車化されモハ201~203となった。更にその後、電装を外されてホハ22,25そしてホハ13のトレーラになったそうである。

訪問時、モハ203のトレーラ化はまだ203の表示のままで、パンタは撤去されたが床下の電装品がそのままで一見電車風のトレーラであった。ホハ22と25の方は完全にトレーラになっていた。
それにしても、この松井3兄弟の驚くのは、前後が異なるなどチグハグの台車を履いていたことである。203などはブリル風台車に対し、もう一方はまるで架設台車みたいなものを履いていた。車輪軽も異なる。
ホハ13(元モハ203)  長岡

ホハ25も前後の台車が全く異なる。
ホハ25(元モハ202)  長岡
これら3両のトレーラは、ツートンカラーに塗られモハ201~203だった昭和30年代前半までが、最も魅力溢れる時代であったのではないだろうか。

モハ213に牽かれるホハ25と22
穀倉地帯を行く
長岡を出て、沿線一帯は何も無くどこまでも続く一面の田んぼ。 椿沢  1964.3.22


モハ213+ホハ25+ホハ22

参考文献: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第一分冊

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

栃尾線は長岡駅で信越線車内からチラッと見ただけに終わり、ついに行けませんでした。素晴らしいお写真で当時を偲ぶことにいたします。

匿名 さんのコメント...

これらの写真も同行した時のものでしょうか?改めてこの鉄道の魅力を感じます。近代化された軽便でしたから当時はそれほどでなくネガのままです。katuさんが改めて掘り起こした写真からこの鉄道の魅力を再認識いたしました。青蛙

katsu さんのコメント...

Cedarさん
コメントありがとうございます。
私もCedarさんの今昔写真日記で、私が撮れなかった光景を楽しませてもらっています。
ブログが過去形にも使えるのに気付いたのはつい最近です。眠っていたネガは、寝かせていたワインのように古いほど楽しみありですね。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
もちろん全てご一緒です。
私もここに整理してみて、改めて当時の栃尾の魅力を感じた次第です。
魅力的な沿線がなく関心薄かった栃尾線。
しかしこの当時と次の訪問(1975年)で劇的に変化しているんですね。涙ぐましい経営努力に頭が下がります。私はその大きな変化に注目してなかったのですが、先日の軽便祭で気がつきました。