1964(昭和39)年、栃尾線には松井製ガソリンカーのなれの果てのトレーラが3両活躍していた。ずんぐりして軽便客車としては大きな車体で直ぐそれと分かった。このトレーラ、元々は荷台付きの片ボギー・ガソリンカーで、エンジンをモータに載せ換えて電車化されモハ201~203となった。更にその後、電装を外されてホハ22,25そしてホハ13のトレーラになったそうである。
訪問時、モハ203のトレーラ化はまだ203の表示のままで、パンタは撤去されたが床下の電装品がそのままで一見電車風のトレーラであった。ホハ22と25の方は完全にトレーラになっていた。
それにしても、この松井3兄弟の驚くのは、前後が異なるなどチグハグの台車を履いていたことである。203などはブリル風台車に対し、もう一方はまるで架設台車みたいなものを履いていた。車輪軽も異なる。
ホハ13(元モハ203) 長岡 |
ホハ25も前後の台車が全く異なる。
ホハ25(元モハ202) 長岡 |
これら3両のトレーラは、ツートンカラーに塗られモハ201~203だった昭和30年代前半までが、最も魅力溢れる時代であったのではないだろうか。
モハ213に牽かれるホハ25と22
穀倉地帯を行く 長岡を出て、沿線一帯は何も無くどこまでも続く一面の田んぼ。 椿沢 1964.3.22 |
4 件のコメント:
栃尾線は長岡駅で信越線車内からチラッと見ただけに終わり、ついに行けませんでした。素晴らしいお写真で当時を偲ぶことにいたします。
これらの写真も同行した時のものでしょうか?改めてこの鉄道の魅力を感じます。近代化された軽便でしたから当時はそれほどでなくネガのままです。katuさんが改めて掘り起こした写真からこの鉄道の魅力を再認識いたしました。青蛙
Cedarさん
コメントありがとうございます。
私もCedarさんの今昔写真日記で、私が撮れなかった光景を楽しませてもらっています。
ブログが過去形にも使えるのに気付いたのはつい最近です。眠っていたネガは、寝かせていたワインのように古いほど楽しみありですね。
青蛙さん
もちろん全てご一緒です。
私もここに整理してみて、改めて当時の栃尾の魅力を感じた次第です。
魅力的な沿線がなく関心薄かった栃尾線。
しかしこの当時と次の訪問(1975年)で劇的に変化しているんですね。涙ぐましい経営努力に頭が下がります。私はその大きな変化に注目してなかったのですが、先日の軽便祭で気がつきました。
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