案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月9日土曜日

栃尾線 上見附駅2

上見附駅にやってきた次の列車は、もう一本の快速でモハ205が牽く列車であった。
モハ205は過去に大変な改造の経緯があり、元ガソリンカーの面影は全くなかった。栃尾の車両は改造で化けに化けた車両が多く、モハ205程度に驚くことはないのだろう。
このモハ205に牽かれるのは2両の古典客車で、軽便客車の標準的スタイルは、他の珍品に較べると実にまともに見えたものであった。こんな大正初期製の最古参木造客車が快速で飛ばすと、どんな揺れ方をしたのだろうか。

古典客車 ホハ7(大正5年大日本軌道製)  1964.3.22

古典客車 ホハ1(大正3年日車製)

やってきた編成から大きな客車ホハ24(元モハ204)を切り離すモハ205。 この両者は元ガソリンカーで、
その後モハ204、205の兄弟だった。になり、モハ205は更に改造を重ね全く別物の姿へ。

モハ205は古典客車2両を連結すると栃尾へ出発した。  モハ205+ホハ1+ホハ7

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この鉄道も興味がありました。実に近代的な設備をもっていましたから廃線の憂き目はだいぶ先、と思っていました。小坂から来たウエスタンスタイルの客車が放置されていたりして車両ファンにとってたまらないものでしょう。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
1964年の栃尾線はこの後、編成を整理するなど必死に近代化を進めた直後に廃線だったようで悲しい運命でした。
約10年後に訪問した時は生まれ変わったようでしたね。