1963年に始めて訪問した時は、春の暖かな陽を浴びて遠鉄浜松駅から廃止直前の奥山まで走っていた。遠鉄本線の西鹿島線と並ぶホームから発着する小さな電車は、マルーン一色でとても地味な感じであった。品の良いツートンカラーにでも塗られていれば、もっと軽便電車の魅力を発揮できたのかも知れない。
車両の経歴が複雑な越後の栃尾線に較べると、奥山線は実にシンプルで分かり易い。
栃尾線の驚きの車両のような面白さはなかったが、電化区間から非電化区間へのバトンタッチ、三方ケ原台地から浜名湖北部にかけた沿線風景など、軽便風情に魅力があった。
隣りの遠鉄西鹿島線と並行する遠鉄奥山線。架線高さは西鹿島線と同じで、小さな車体の屋根に、目いっぱい上げたパンタが大きいこと。
遠鉄浜松を出発した曳馬野行き列車 モハ1003 + ホハ1110 1963.4.4
妻面が丸形の客車の車内に、女学生とほっかむりのおじさんの姿がよく似合う。
春の暖かな陽ざしを行く。 北田町 - 元城 1964.3.23
川に沿って民家の脇を走る 遠鉄浜松 - 元城 1963.4.4
遠鉄浜松から二つ目の元城駅と車庫の全景 1963.4.4
3 件のコメント:
遠鉄浜松(1963.4.4)の写真、準広角レンズの極みですね、“広角は写り込みの楽しみ”の言葉通りの素晴らしい写真です。僕なら50㍉で電車だけを追っていたでしょう。この時、あなたが構図に犬と女の子を意識して入れたとしたら完全に“脱帽”です。やすし
やすし様
1960年代に撮ったカメラは殆ど全てが45mmF1.9のフジノンレンズです。お金が無かったのでこれと補助用にオリンパスペンのみでしたが、偶然に素晴らしいレンズであった事を後で知りました。
撮ったフィルムを左右ギリギリまで光景をカツトしないようスキャンを心がけています。
もし望遠など持っていたら60年代の光景を見落としていたでしょう。45mmレンズの使用は偶然で、写し込まれる光景も偶然です。
ただ意識したのは駅の乗客を入れることでした。
画角といい、ピントの決まった写り方と言い、並みのレンズではないと思いましたが、Fujinon 45㍉、f1.8だったのですか、すると、カメラはFujica ST801ですか?、今もそうですが、当時、放送の現場で使われていたビデオカメラのレンズの殆どがFujinonだったと聞いています。
今、Fujinonは独特な写りで賞賛を博していますが、それはオマケで本筋は究極の描写力にあります。後世に残る写真を残してくれた稀有なレンズとそれを手に全国を駆けたあなたに感謝です。
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