案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月15日土曜日

越後交通 栃尾線 ED51の角度

軽便ならではの魅力を満載した箱型電機。
昭和24年日立水戸工場製 自重15トン  下長岡車庫 1975.3.8









廃線直前のED51   下長岡車庫 1975.3.8

貨物列車を牽いて活躍していた頃のED51。  長岡 1964.3.22

2011年1月14日金曜日

越後交通 長岡線

1975(S50)年の3月初め、上野発長岡行き各停夜行列車はマイカー時代になっても、まだまだスキー客満載でまるでスキー専用列車のようであった。湯沢、石打を過ぎると車内はガラガラとなり明け方に長岡に到着した。この3月末で栃尾線と長岡線(旅客営業)が同時に廃止される直前ギリギリの訪問であった。

栃尾線訪問の翌日に西長岡の駅に向かうと、駅には様々な電機と元小田急電車一色であった。
貨物輸送に較べ、旅客の方はまるで活気なく閑散とし、軽便の栃尾線よりひなびていた。
次々と部分廃止されて残った区間は西長岡~大河津で、途中で下車して撮影できるほど本数はなく、与板止まりの電車に乗ってそのまま引き返した。

西長岡駅の全景。 1975.3.9

越後の山をバックに単行の電車が行く。 西長岡近辺。

ひっそりとした与板の駅。
与板の先へさらに線路は続く。



元長野電鉄のED512が盛んに活躍していた。  西長岡


西長岡


西長岡


西長岡の車庫には様々な電機が。

2011年1月9日日曜日

仙北鉄道 早春の軽便2

1966(S41)年3月1日、朝一の上りと下りの貨物は長大編成であった。頚城鉄道と同様に有蓋貨車の長大編成は穀倉地帯の米輸送と思われるが、繁忙期でないこの時期に一体何を運んだのだろうか。その次の下り貨物はニフを2両も連結し、無蓋貨車にも荷を満載した貨物の編成であった。

朝一の不定期下り貨物列車(DC102)は長大編成であった。 沼崎下-瀬峰 1966.3.1 

田んぼの中をやってきた下り2本目の貨物列車。    板倉 - 佐沼     1966.3.1

下りの貨物長大編成      板倉 - 佐沼

最後尾のニフを切り離し、リヤカーで運んできた大きな荷物をニフに積込む。 佐沼

ニフの積込が終わると、ニフを先頭に移動しこんな編成で米谷方面へ出発。 佐沼

こんな編成もあった。 昼前に瀬峰へ向かうDC103。

2011年1月8日土曜日

仙北鉄道 早春の軽便1 

真夏に訪問してから2年経った1966(S41)年の早春。
冬が過ぎ、春の息吹が感じられる穏やかな陽気であった。
2年後(1968年春)の廃線が迫った仙北鉄道であったが、
小さな貨車による輸送が、まだまだ活躍していた。

長大編成  1966.3.1 沼崎下 - 瀬峰

2011年1月7日金曜日

大晦日の金沢市内線(ハーフサイズ)

1964(S39)年の北陸鉄道めぐりの最終日、浅野川線、金石線を訪問した後、大晦日の金沢市内線を巡った。先日(12月31日)のアップと違って今回の画像は全てハーフサイズ・カメラであり、画質は落ちるが街の風景はハーフサイズのメモ撮りが面白い。ハーフサイズを使ったのは35mmカメラに較べて倍の駒数が撮れるという費用削減策であった。        1964(S39)年12月31日

金石線の中橋から国鉄の踏切を渡って、市内線の白銀町あたりから兼六園下まで撮り歩いたので、ネガの撮影順に撮影場所を推定。

安江
金沢駅近くの複線区間でその先が右へカーブしていることから安江と推定。
②系統: 金沢駅ー香林坊ー野町広小路ー寺町

安江 - 武蔵ケ辻
安江のカーブ。②系統の電車は武蔵ケ辻を過ぎ金沢駅に向っている。 

尾張町
賑わっていた武蔵ケ辻を過ぎ、この先の橋場町分岐点までの直線区間。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

尾張町
武蔵ケ辻を過ぎ尾張町あたり。
④系統: 野町駅ー武蔵ケ辻ー橋場町ー鳴和。

橋場町
北陸銀行とパチンコの看板から、正面が橋場町の分岐点。
④系統は左に曲がり鳴和に向かう。

橋場町の分岐点。

味噌蔵 - 兼六園下
兼六園下を過ぎ、Sカーブを曲がり橋場町経由で金沢駅へ向かう①系統。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

味噌蔵 - 兼六園下
寺町からやってきた⑤系統は兼六園下の分岐点を左に曲がり、
橋場町経由で東金沢へ向かう。
⑤系統: 寺町ー香林坊ー兼六園下ー橋場町ー東金沢

兼六園下に到着。

ここで今回の北陸鉄道めぐりは終了し、金沢駅で夜遅く夜行列車に乗った。
すいた夜行列車で正月朝の東京へ到着するのは毎年のパターンであった。

2011年1月6日木曜日

北陸鉄道 浅野川線 内灘

昨年5月25日アップしました「浅野川線の風景」で、駅名が間違えていましたので訂正いたしました。

当時の終着駅があまりにも殺伐とした何もない海岸べりのような光景で、てっきり内灘の先の粟ケ崎海岸と思い込んでいた。ところが掘立小屋のような駅舎の写真を改めて見ると「内灘駅」の表示があり、数年前に訪問した内灘駅とまるで違うが、この駅は粟ケ崎海岸ではなく内灘であった。

内灘から先の内灘~粟ケ崎海岸の路線図は、減速進行さんのサイトの廃線区間を参照下さい。

46年前の内灘   1964.12.31
当時は左へカーブし、この先の粟ケ崎海岸まで線路が繋がっていたようだが、
運転は内灘止まりであった。今も左へカーブする形跡がある↓

駅周辺の風景が一変した最近の内灘。  2004年11月


↑46年前の内灘駅舎。

最近の内灘駅舎。よ~く見ると窓や入口に昔の掘立小屋の面影が。


何もない殺風景な駅。 右は海へ向かう電車のホームか?


内灘の先へ線路が左カーブし、そこに気になる2台サハ221と211が留置されていた。
その昔、夏になるとポール電車に牽かれこんな客車が海水浴客を運んだのだろうか。

2011年1月5日水曜日

北陸鉄道 浅野川線

金沢駅前にある浅野川線の北鉄金沢駅は今では地下化されてしまったが、当時の地上駅はこんな風景であった。ここから国鉄へ貨物線が延びていて、ポール付きの四輪単車が使われていたようである。
北鉄金沢を出て左にカーブして北陸本線の下を抜けると七ッ屋で、そこに車庫があった。

北鉄金沢駅    1964.12.31

ダブルルーフのモハ3101  北鉄金沢

貨物線にいた四輪単車モハ573。  北鉄金沢

七ッ屋の車庫。  モハ3561 と モハ3551


元気動車のクハ1652

北陸本線(後方)の下を抜けると七ッ屋の駅があった。モハ3102+クハ1651


2011年1月4日火曜日

北陸鉄道 金石線 金石街道

金沢の裏手中橋を発車し次の長田町を過ぎると、金石まで金石街道沿いを一直線に走る。この沿線で見た貨物列車を牽く電車、奇妙な2軸電動貨車など前回の「金石線の風景」を更にアップしてみます。

どこまでも一直線に続く雨上がりの金石街道脇を行くモハ3011。

貨車を牽引している電車は、電気機関車の代役 モハ1301。 元浅野川電気鉄道デボ1。


2軸駆動のEB301も貨車を牽いてやってきた。


能美電気鉄道デ3から電機になったEB123。数年後、更にボギーに改造されED211になったとか。
奇妙な機関車とその編成が楽しい。    金石


貨物列車の最後尾はサハ552。 大正13年日車製の551、552は簸上鉄道の客車が前身で、
よくこんな由緒ある客車が生き延びたものだ。翌年11月に廃車となった。
サハ551


金石駅