案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年8月7日土曜日

仙北鉄道 バスが発着していた瀬峰駅ホーム

仙北鉄道 瀬峰駅では、軽便鉄道のホームからバスが発着していた。
1950年に廃線となった築館線の軌道をそのまま使ってバスが走っていた。
鉄道とバスがホームで並ぶ、楽しい光景であった。
瀬峰駅だけでなく、築館までの鉄道施設がそのままバスに使われていたそうである。
バスに乗って終点まで行かなかったのが悔やまれる。



築館行きホームのバス。

反対側のホームからは軽便列車が発車する

築館線の廃線跡をバスが走る                仙北線ホームへのバスのりば案内

2010年8月6日金曜日

新潟交通3 東関屋に居た車両達



形式モハ17(元東武デハ2形)

モワ51

クハ37(元国鉄41000形)


クハ46(元小田急1400形)

2010年8月5日木曜日

2010年8月4日水曜日

2010年8月3日火曜日

遠鉄奥山線 気賀口から奥山へ向かう1

奥山線の気賀口~奥山間は、朝夕を除くと日中1往復のみで、途中下車して撮影は難しい区間であった。気賀口から奥山へ向かう車窓を並べてみました。途中の駅や沿線には全く人影がなく、浜松-気賀口間とは別世界の感じがした。          

気賀口から奥山へ向かう線路は、山の手前を右にカーブし北上する。1963.4.4


気賀口-井伊谷   気賀口方面を見る

井伊谷駅  気賀口方面を見る

井伊谷-四村   気賀口方面を見る

四村駅   気賀口方面を見る
2000年5月

奥山方面を見る

20分ほどで桜満開の奥山駅に到着

2000年5月

2010年8月2日月曜日

西大寺鉄道4 木造ボギー客車ハボ3、14



ハボ14      1962.7.29


始めて見た、憧れの朝顔カプラーに感激!


ハボ3

車輪径420Φのアーチバ台車   上 ハボ3、下 ハボ14

2010年7月31日土曜日

西大寺鉄道3 西大寺市駅

終点の西大寺市駅は、広い構内がありその先に車庫があった。普段使われることのない沢山の車両で車庫は満杯であった。ボギー客車だけで21両も保有している。これだけ多いのは年一度の西大寺裸祭りの客輸送のためだそうだ。 単端はキハ3~5とキハ8、10が休んでいた。巨大な単端キハ8、10は超ゲテモノである。

終点 西大寺市駅全景    1962.7.29

台車がとんでもなく小さいので、地べたを這いつくばって走る感じがいかにも軽便。
車輪径420、軸距840のアーチバー台車で、0番模型で作るのに最適。
木造ボギー客車群



ボギーのガソリンカーを真っ二つに切って、2両の単端としたキハ8と10。
巨大な流線型の単端 キハ8 と、その後のキハ5が可愛らしい。

  トボ + ワボ1 
  

2010年7月30日金曜日

西大寺鉄道2 財田駅

後楽園と西大寺の中間点あたりで山陽本線に接続する。
山陽本線の東岡山駅に隣接して西大寺鉄道の財田駅があった。
国鉄の貨物ホームと軽便の貨物ホームが繋がっていて、このホームで貨車の荷物が積み替えられた。昭和37年の廃線直前でも混合列車が走っていたので、最後まで貨物があったのであろう。                                                    1962.7.29


財田駅の全景

列車交換風景。バケットに自転車が積まれたキハ6と、右はキハ7。


  ワボ9

2010年7月28日水曜日

北陸鉄道能登線3 真夏の羽咋

片側バケット付キハ5162+単車コハフ1501の列車が、羽咋を発車し田んぼの中をやって来た。並行する国鉄七尾線の線路が奥に見える。 羽咋 1962.08.02


羽咋川の鉄橋を渡った先を左にカーブし七尾線をオーバクロスし、能登の海岸線へと向かう。夏休みで海水浴客なのか、車内は満員で気動車のバケットまで乗客が溢ふれていた。


片側バケット付で車体が大きいキハ5201が顔を見せた。
滝駅を過ぎると能登の海岸に接近する。  滝

2010年7月27日火曜日

北陸鉄道能登線2 真夏の羽咋

国鉄七尾線の羽咋から三明まで、北陸鉄道唯一の非電化線が走っていた。
終点の三明は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となった能登金剛の近くである。
1962年8月、金沢から七尾線に乗り羽咋で降り、北陸鉄道能登線を訪問する。
能登線は途中高浜あたりまでは穏やかな海岸線が続く。
波打ち際ぎりぎりを魅力的な気動車が走っていた。

1962年8月2日
尾小屋鉄道訪問の翌日、金沢から朝一で羽咋へ向かう。
国鉄七尾線に隣接した北陸鉄道能登線の羽咋駅構内には、様々な気動車が構内にたむろし、
1両1両みな外観が異なる個性豊かな魅力的な車両ばかりであった。

朝日を浴びた羽咋駅構内の全景、片側バケット付気動車が出発の準備に取り掛っている。

前面4枚窓両端バケット付キハ5151+コハフ3001の上り列車が
到着し、乗客は七尾線に乗換える。 


両端バケット付トレーラのコハフ5301翌年動力化され、
その後、筑波鉄道へ転出しお馴染みのキハ541に。


車庫に休んでいた前面3枚窓両端バケット付キハ5001が出動し、今日の準備に。

厳ついキハニ5102、出発前のひと時

2010年7月14日水曜日

島原鉄道

昭和42年の島原鉄道。
島原城から歩いて直ぐのところに島原鉄道の島原駅があった。街の風景も今では一変してしまっていることだろう。春の陽を浴び、のんびり走っていた島原鉄道は、今も諫早からこの先の島原外港駅まで走っている。

島原駅  1967.3.3

島原駅
島原駅
島原城から島原の街と駅方面を見る。遠くに島原湾の海が拡がる。
島原城

2010年7月7日水曜日

頚城鉄道 夏の新黒井駅

頚城鉄道。
1962年の夏、新黒井の駅は軽便列車に乗る乗客でけっこう賑わっていた。
また、小さな貨車で貨物輸送もやっていた。
大人も子供もこんな列車に乗れるのにワクワクしたことであろう。
駅前には、まだ木造の電話ボックスがあった。
1962.8.3



訪問のだびに寂れ、最後はこの駅も閉鎖され、
国鉄との接続がなくなり百間町発となった。
1968.8.18