案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年7月27日火曜日

北陸鉄道能登線2 真夏の羽咋

国鉄七尾線の羽咋から三明まで、北陸鉄道唯一の非電化線が走っていた。
終点の三明は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となった能登金剛の近くである。
1962年8月、金沢から七尾線に乗り羽咋で降り、北陸鉄道能登線を訪問する。
能登線は途中高浜あたりまでは穏やかな海岸線が続く。
波打ち際ぎりぎりを魅力的な気動車が走っていた。

1962年8月2日
尾小屋鉄道訪問の翌日、金沢から朝一で羽咋へ向かう。
国鉄七尾線に隣接した北陸鉄道能登線の羽咋駅構内には、様々な気動車が構内にたむろし、
1両1両みな外観が異なる個性豊かな魅力的な車両ばかりであった。

朝日を浴びた羽咋駅構内の全景、片側バケット付気動車が出発の準備に取り掛っている。

前面4枚窓両端バケット付キハ5151+コハフ3001の上り列車が
到着し、乗客は七尾線に乗換える。 


両端バケット付トレーラのコハフ5301翌年動力化され、
その後、筑波鉄道へ転出しお馴染みのキハ541に。


車庫に休んでいた前面3枚窓両端バケット付キハ5001が出動し、今日の準備に。

厳ついキハニ5102、出発前のひと時

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