案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年11月3日土曜日

遠鉄奥山線 元城 2

二回目に訪れたのが1年後の1964年3月で、春の陽を浴びた元城の風景は相変らずであったが最後の年を迎えていた。あれから54年、のどかだった風景の今をgoogleで見ると大都会浜松の一角にのみ込まれてしまった感があります。

撮影:1964.3.23
右手が元城工場の建屋。
線路が前方で茂みの中を左にカーブするところが今も小路で残っている。右手の車庫と工場があったところに今はホテルコンコルド浜松が建っている。


大手通りの踏切を過ぎると元城駅の構内に入る。左の榎本外科が今のホテル車寄せの入り口となる。線路は遠鉄浜松へ向かって一直線に延びた先を右にカーブしている。

元城車庫に休む気動車。

元城車庫に休むモハ1003とキハ1803

車庫から牽き出されたDC1901

4 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 私は雨に祟られたので、元城は居眠りしているうちに通り過ぎてしまいました。晴れていれば絶対に見逃せない所ですね。

Cedar さんのコメント...

かのホテルの敷地に、元城駅跡の標示があったらしいのですが、見つけられませんでした。
ホテルの人に聞いても、首を傾げるばかりでした。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
通り過ぎてしまった元城が残念でしたね。
気動車と電車が同じ車庫に休む楽しい元城でした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
googleで位置関係を調べてみました。
なるほど車庫と工場跡が今のホテルですね。
綺麗な風景、殺風景な風景になったものです。
今やどこへ行ってもこんなようですね。