案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年11月11日日曜日

遠鉄奥山線 気賀口 1

町の中央部には都田(みやこだ)川の沖積地が広がり,北部は山地,南部は三方原が占める。中心の気賀(きが)はかつて浜名湖舟運の一拠点で,江戸時代には三ヶ日,浜松に通じる東海道の脇往還,姫街道(現,国道362号線)が通じ,関所が置かれていた。江戸後期からイグサの栽培が行われたが近年はミカン,メロン,キーウィフルーツ,レタスの栽培や酪農が盛んになっている。…気賀の紹介記事

こんな気賀の町外れ井伊谷川の対岸にあったのが奥山線の終点「気賀口」であった。気賀口はこれまでブログで何回も取り上げて来ましたが、未使用画像を追加してもう一度整理(既出画像含)してみます。
撮影:1964.3.23
オリンパスペンで撮った最も好きな風景の1枚。線路はボギー貨車のところで終わっている。この写真の1年前まではこの線路の先は川沿いに右に大きくカーブして奥山まで向かっていた。
ここで線路が終わる。

気賀口を出ると右へカーブして井伊谷川に沿って進む今の風景。

寂しげな気賀口駅。道行く人がジオラマの人形みたい。

いかにも温暖な地方を感じさせる駅前の民家。

気賀口を発車した気動車。一面に拡がる田んぼの畦道には肥料の桶が置いてある。


奥山まで走っていた時代の気賀口。1963年4月

4 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 気賀口の全体像はこんなだったのですね。雨の中、線路の切れ目の踏切までは行きましたが、来た列車ですぐ引き返したので、駅そのものはほとんど記憶にありません。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
気賀口駅はRMライブラリー10巻「奥山線」でも、構内配線図と数枚の写真程度で済ませてしまいました。
気賀口駅は奥山駅とともにまるでジオラマのような魅力的な風景でした。
昔の5万分の一地図が見つかれば詳しく情景を記載してみたいものです。

にぶろく さんのコメント...

右側に映っているのは
ターンテーブルとピットの跡でしょうか

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
構内配線図からしても
ターンテーブルとピットの跡のようです。