案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年11月30日金曜日

美しい雄勝線

雄物川を渡った先、雄勝平野の美しい一面緑の田んぼの中で朝の列車を待っていると、下りと上りの列車がのんびりとやってきた。ほんとうに美しい光景であった。

羽後山田を発車した下りの梺行列車。羽後山田ー貝沢 1964.8.6

二つ先の羽後三輪で交換した上りが、湯沢に向けてやって来た。羽後山田ー貝沢

羽後山田駅風景。この列車に乗って西馬音内へ向かう。

西馬音内駅と電車区

小さな電車が牽く客貨混合列車。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

このローカルトロリーラインは、是非訪れてみたかったです。
秋田中央と並び、間に合わなくて残念な線区です。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この路線、この後に電化→非電化となり鉄道施設が酷い状態になりました。
youtubeで見ると味わい深い西音馬内駅などは破滅的な状態でした。
この写真の頃はまだ良き時代であったのですね。

esehoku さんのコメント...

雄勝線は、当時の鉄道ファン誌の記事でギリギリ知っていますが、晩年の、クリームとエンジのツートンのイメージが強く、ここでの画像の時代では、まだ旧塗色?の車両も多かったのですね。
どんな色だったのでしょうか?
あと、当時「にしもない」が読めませんでした。
(井笠鉄道の「鬮場」なんかは逆で、殆ど「くじ場」と書かれていて、「駅名っぽくないな」と思いましたが、実はとんでもなく難しい字でした。)

katsu さんのコメント...

eswhokuさん
雄勝線のクリームとエンジのツートン、これが昭和40年代(1965年~)あたりから地方私鉄に出始めたハデなカラーリングの代表例だと思います。
私が訪問した時の雄勝線は確かクリームと濃紺だったと思います。この時代は落ち着いたツートンカラーの路線が多かったものです。
秋田中央、法勝寺線、能登線などは、その後のカラーリングで大きくイメージを変えてしまった感がします。
あの時代の落ち着いたカラーリングは、今の時代に見るととても新鮮に見えるのではないでしょうか。