案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年10月9日火曜日

写真展 10月7、8日

7日と8日の写真展では長崎市街の写真に、ふるさとを見つけた長崎出身者が二人も来場しました。長崎で育ちその後東京に来られて、写真のあの時代からそれぞれが51年の人生を送って、今こうして新宿でめぐり会う不思議なご縁である。

「これ俺の家だよ!」
来場者から「これ俺の家だよ!」の声、生まれ育った51年前の長崎市街の写真に我家を発見。この写真の時は8才くらいだったそうだ。気になっていた周辺の古風な建物についていろいろ教えてもらうことが出来た。

拡大してみると。

「ここが私の女学校よ!」
そしてその翌日も長崎出身者が現れる。51年前の長崎市街の写真で「ここが私の女学校よ!」、「ここが私が住んでいたところ」と長崎の元女学生が現れた。それは何と昔googleで調べていたあの活水女子大(現名称)であった。

51年前の長崎電軌と活水女子大(現名称) 1967年3月
背後に見えるいかにも長崎らしい建築が気になってさんざん調べたことがあった。
昨日のご婦人は私と年齢が近いのでこの写真の頃、女学生でこの女学校に通っていたことになる。

 「ここが私が住んでいたところ」

 会場風景

4 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

写真の下側やや右寄りの四角い建物も気になりますね。
ベランダが付いた戦前の擬洋風建築だと思いますが、この時点ですでに屋根がボコボコしているから建物としてはそろそろ寿命だったのだと思います。

私は鉄道も好きでしたが、一緒に写りこんでいる車やバイク、自転車を見るのも楽しいです。
長崎の現在大切に保存されている異人館もこの頃にはまだ借家として利用されていたりして、ベランダに洗濯物が干されていたりしたんですよね。
楽しい写真をありがとうございます。

Cedar さんのコメント...

1枚の写真から人々の思い出が繋がっていく!風間写真の真骨頂ですね。ただの車輌ドアップではこうはいきません。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
気になるあの屋根の建物、このすぐ前の家に住んでいた方からお話を聞きました。
近々にブログに概略を紹介したいと思います。
大変に興味深い長崎の一角で、先日出版された長崎写真集を買いたくなってきました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
地方私鉄をやって来てよかった! これが地方私鉄趣味の醍醐味ですね。
電車も写っていない51年前の長崎街並みがこれほど受けるとは思っていませんでした。
鉄ファン向けの写真とは違った写真ほど受ける、それをつくづく感じます。