案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年10月23日火曜日

花巻電鉄 西公園停車場の部分拡大

1964年夏にオリンパスペンSで撮った西公園停車場は大変気になる1枚です。部分拡大して見るといろんなことが分かります。


西公園停車場。1964.08.02

以前から気になっていたこの一角、部分拡大して見るとゲタを履いた学生が木のベンチで寝ているようです。その脇の隅には掃除道具が積んである。ガラス越しに見える待合室はこんな軌道線にしては広そうだ。

駅には赤ん坊を背負って乳母車を持った母親が。そして電車に乗るための踏み台が2ヶ。 待合室入口に置いてあるのは椅子2脚か。

その先の建屋にある看板が読み取れます。軌道は砂利というよりほとんどドロ軌道、ここから専用軌道に入り軒をかすめて西花巻へ向かう。

以下は35mmフィルムで撮影
通りの商店の看板や建物がなんと魅力的なことか。そして道路を歩く人がなんと多いことか。

街へ出掛ける乗客で客車内は満員、そこへ学生たちが乗り込む。踏み台は使わないのか?
ゲタを履いた学生は下り列車を待っているのだろう。

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

西公園界隈は素晴らしい場所ですね。Cedar親子が訪ねた昭和42年には、交換設備は撤去されていましたが、味のある街並みはそのままでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
広角気味45mmレンズの世界から狭い一部の光景クローズアップへ。
Cedarさん流に切取り画像をやってみました。
この西公園界隈はすでにブログで何回も取り上げてお恥ずかしいですが、
幾らでも切り口が湧いてくるようです。
究極はこの風景を模型で再現することなんでしょうけど。

モハメイドペーパー さんのコメント...

 私も昭和40年に乗っていますが、昼間のせいかガラガラでした。ここに限らず、この時代の田舎の家並みは大体こんな感じでした。

katsu さんのコメント...

モハメイドペイパーさん
昭和40年に乗っておられるとは私と同じ良き時代に訪問しているのですね。
私がこの家並みに気付いたのはこの時代から40年も後でした。
なんとも思わなかった街並みが40年も経つとがらっと感じ方が変化しました。
昼はガラガラでしたか、昭和41年の朝の通勤時間は大変混んでいてトレーラを2両牽いていました。
この時代の乗客は朝夕に集中していたのでしょうか。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
平成13年頃花巻で仕事をした時期があります。
松倉温泉と大沢温泉の間ぐらいのところに職場があったので、写真の場所はよく車で通りました。
当時でも若い人たちは花巻電鉄の事は知りませんでした。鉄道に全く興味のない職場の同僚に花巻電鉄の話をしました。鉛温泉の名前の由来の事も。
後日散髪に行った時に、私から聞いた話をその理容店の若い女性にしてあげたらみんな話に乗って来て人気者になれたよと感謝されました。
付近は鉛温泉に向かって道の両側にリンゴ畑の広がるところもあります。きっと綺麗だったでしょうね。

花巻市内にも花巻電鉄のタクシー部門が分離して残った「電鉄タクシー」が今もあるようです。当時は看板は古いままで、非常に雰囲気が良かったです。写真に撮っておけば良かったと思います。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
そうでしたか、
宮沢賢治や高村光太郎と縁がある花巻電鉄なのに、今や若い人たちはあまり知られていないようでしたか。
今は当時の風景とは全く別の風景になっているでしょうから当然かもしれませんね。
私たちが明治時代の路線を知らないと同じように、
次第に花巻電鉄も遠い過去帳になってしまうのでしょう。