案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年1月13日金曜日

ある日の水浜電車 昭和39年(2)

素晴らしき水浜電車、昭和39年ある日の水浜電車を田辺氏のアルバムから。
撮影: 田辺多知夫氏 1964.04.13

次は浜田から大洗までの風景です。

谷田電停の風景
小さなホームに赤子を背負った母と子、踏切の先を見れば、藁ぶき屋根の民家、軒下に干された洗濯物、埃道を走るオートバイ、その先に休むオート三輪・・のどかな風景だ。

やがてやって来たガラ空きの水浜電車.

いかにも水浜線らしい風景 谷田~浜田
4月中旬の日を浴び、新緑が始まる頃の木立、低い植栽には春の花が満開。

谷田~六反田の長閑な田園風景

大洗海岸、電車はこの港町のどの辺りを走っていたのだろうか、当時の地図を見るとぞくぞくしてくる.

奇妙な行き止まり駅大洗を発車し松林の中を大学前へ向かう水浜電車.

 浜田車庫はこんなだったのか.

同型の123と124

RMライブラリー63巻茨城交通水浜線の表紙(カラー)に登場した123.

常磐線水戸駅16時5分

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

水浜線もまた、全く間に合わなかった電車のひとつです。
そもそもRMライブラリが出るまで「みずはません」だと思っていたくらいでしたから・・・

katsu さんのコメント...

Cedarさん
残された区間が昭和41年5月まで走っていたのに、私も行かずじまいでした。
最後の1年間は残された木造車が往復していたようで雰囲気が違っていたでしょう。
田辺さんは4回訪問していたので、これから続編をアップします。