案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年1月14日土曜日

さようなら水浜電車(1)

水戸駅前~上水戸間最終日の水浜電車を田辺氏のアルバムから。
撮影: 田辺多知夫氏 1965.06.10

田辺さんの2回目の訪問は上記区間の最終日でした。


最後の日1965年6月10日の花電車と水戸駅前風景.

翌年もまたボンネットバスが見られた水戸駅前風景.

水戸駅前. 右手が水戸駅

水戸駅前付近から棚町(旧本社前)方面を見る.

南町3丁目から泉町1丁目方面を見る.

郵便局前 泉町1丁目から南町3丁目を望む.

郵便局前 泉町1丁目から南町3丁目方向を望む.

南町2丁目から南町3丁目を望む

8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。素晴らしい記録写真ですね。私は1962年に水戸に生まれ、その後もずっと水戸に住んでおります。小さかった私は家族に連れられ大工町電停付近でさよなら電車を見送ったそうです。
なお、写真の撮影場所は、4枚目は郵便局前から水戸駅前方向、5枚目は南町4丁目電停から泉町1丁目方向、6枚目は泉町1丁目から南町4丁目電停方向、7枚目は泉町1丁目から南町4丁目(写真中央の交換可能な電停)その先が南町3丁目、道路突き当りの黒い建物は水戸郵便局です。また、8枚目は泉町3丁目から大工町方向です。
なお、当方の記憶に間違いがありましたらご指摘をお願いいたします。懐かしい貴重な写真を見せていただきありがとうございました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
詳細な情報ありがとうございました。
現在表示中はものは以前メール戴いた情報から訂正したのですが、
今回の情報と一致しません。
どの電停あたりかを主体とした表示に見直しして訂正したいと思います。
路面電車で街中の場所当てはよそ者にとって大変に難しいです。

東石川 さんのコメント...

本当にすごいコレクションですね。
私も水戸の者ですが、地元では水浜電車の歴史について顧みられることはほとんどなく、記録らしい記録も残っていないものですから、これら大変貴重な写真を拝見し素直に感動しております。

匿名さんもご指摘の通り、8枚目の写真は泉町から大工町方向を写したものですね。
右下に見えるタトコロ洋品店と関東銀行水戸支店(現・筑波銀行泉町支店)の位置からすると、撮影場所は泉町でも3丁目より少し水戸駅寄りで、2丁目の中央ビルから写したものと思われます。

平成の初めころまでは道路上に軌道跡が残り、道の両脇の商店街も活気がありましたが、今では他の地方都市と同じく、お店を潰して駐車場にするところが多くなり、人通りもかなり減ってしまっています。

katsu さんのコメント...

東石川さん
コメントありがとうございました。
水浜電車の思い出にお役に立てばアップした甲斐があります。
8枚目の写真ご指摘ありがとうございます。
もう一度見直してみます。

匿名 さんのコメント...

1955年に水戸で生まれました。
郵便局前あたりに住んでおりまして。この電車はよく利用しました。
確か大洗に行ってませんでしたっけ。
また水戸一高の下を通っていたのを覚えています。
小学生低学年の時に、お金を持たずに乗って怒られたのを覚えています。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
水浜線は終点の大洗まで走っていました。
水戸一高の下など沿線各所の写真がアップされていますので、
この記事の一番下にあるラベル「茨城交通水浜線」をクリックして戴くと
水浜線の全ての画像を見ることができます。

東石川 さんのコメント...

久々に拝見しました。
いつ見てもいいものですね。
水浜線に限らず全国の貴重な記録が鮮明によみがえる宝石箱のようなブログだと思います。

4年前に8枚目の写真について泉町二丁目の中央ビルからの撮影ではないかと申し上げましたが、
角度的に中央ビルは水戸駅寄り過ぎるので、撮影場所はもう少し大工町寄り、
今の足利銀行かイシカワ時計店の建物ではないかと思われます。

ところで、この写真では停車中の電車で乗降客の姿が見えます。
これが泉町三丁目の電停と思われます。この停留所は交換施設がなく、
道路の狭さ故安全地帯も設置できないため、交差点に隣接して停留所を設けたようで
現在の泉町三丁目バス停より水戸駅寄りになっていますね。
水浜線のこうした道路上の単線に設けられた停留所の位置が特定できる写真は初めて見ました。

それから交換施設がある南町の停留所名は「南町四丁目」が正しいです。
現在は町名変更で南町は一丁目から三丁目までとなり、旧・四丁目は三丁目の一部になっています。

katsu さんのコメント...

東石川さん
ご指摘ありがとうございます。
市内電車の電停名はいろいろあり難解です。
ネット調べても時代により変更されたりで決定的な証拠は
その時代の路線表示看板の写真くらいと思われます。

例えば金沢市内線では車内券、ピク誌記事、土地の人の簡略名など様々でした。
地元のご指摘が多い水浜電車の電停名は改めて一新してダメなら表示を消去します。