スイッチバック駅の西花巻から国鉄をオーバクロスして中央花巻駅まで延びていた短い線の事について当時の訪問記録をひも解いてみました。
街中にひっそり佇む中央花巻駅. 1964.08.02
台所や洗濯物が見え生活感あふれる駅舎はきっと住居に使われていたのでしょう。
1964年8月1日夜の上野駅は大変な混雑で予定した第2十和田は長蛇の列であきらめ、比較的空いている臨時準急に乗り19:25上野を発車した。途中、平でC62に付け替えられる素晴らしい列車だったが客車のシートの背ずりが板張りでお粗末な準急であった。
翌朝8:09花巻に到着、ナローの電車のりばを横目に見て国鉄花巻駅前に出る。リュックを駅に預け中央花巻駅を目指して街中を歩いたが方向を間違えてしまい、やっとのことで中央花巻の駅を見つけることができた。中央とは名ばかりで寂れた駅でポイントもなしホームが1本あるだけ。この駅から花巻温泉(鉄道線)行の電車が一日5本出ていた。中央花巻~西鉛温泉が軌道線だがこの頃ここを発車する電車は花巻温泉行のみで鉄道線として使われていた。
11 件のコメント:
なんとも言えない場末のターミナルな感じが良いですね。
模型にしたい風情です。
私が訪れたのは1967年で既に
廃止になっていました。跡地を
見に行ったのですがバスターミナルに
なっていましたので別の場所だった
ようです。いずれにせよ貴重な
画像です。ホームの洗濯物も
往時の世相を表していて微笑ましい。
chitetsuさん
モデラーが好む寂れた世界。
こういう風景は模型に見えてしまいます。
電車がいなくても駅舎と線路だけで楽しめますね。
常夜燈さん
この盲腸線は翌年1965年の7月に廃止になりました。
岩手軽便鉄道と伴に使われた始発駅はこの先にあったそうですね。
「中央花巻」とは紛らわしい駅名です。
岩手軽便の花巻駅廃止で盲腸線となって取り残されたそうです。
中央花巻駅舎の向こうに映っているのが「中央劇場」です。「日活映画」などを中心に上映していました。写真のころは保育園児でしたので中央駅の記憶はありませんが、父が花巻電鉄バスの運転手で自宅が花巻グランド駅の近くでしたので、よく花巻温泉へ温泉に入りに行ったり、花巻電鉄の花巻駅舎にあった休憩室や西花巻駅隣接のバス営業所で遊んでいました。
yamabouzuさん
貴重な花巻物語をありがとうこざいました。
中央花巻駅の写真を改めて見ると中央劇場と切符売り場が確認でき、あれは映画館でしたか。
花巻グランド駅、花巻温泉、花巻駅駅舎、西花巻のバス営業所など、
これはもう花巻電鉄と供に過ごした日々だったのですね。
どこかで遊んでいた幼稚園児と私はお会いしていたかも知れません。
追加の情報です。中央駅の向こうに見えているのは、電電公社のビル(窓と細長い党のような建物)と新高電気ビルです(手前の四角いビル)。この当時は、電電公社にパラボラアンテナ棟がありませんでした。
yamabouzuさん
ありがとうこざいました。
遠くに見えたあの窓のない無機質な大きなビルはてっきり電電公社と思っていましたが、
電電公社の手前に建っていた新高電気ビルでしたか。
ストリートビューで周辺を散策して確認すると南方から見て窓のない建物が今も残っていますね。
岩手軽便鉄道の中央花巻駅が移転前に元々あった位置はこの辺りだったのではないでしょうか。
遠い昔に二つの軽便鉄道が同居していた興味深い駅です。
常夜燈さんの「跡地を見に行ったのですがバスターミナルになっていましたので別の場所だったようです。」という場所は、「花巻バスセンター」だと思います。鉄道から話がそれますが、盛岡市、紫波町日詰、花巻と三ヶ所に県内各バス会社乗り入れのバスセンター(乗り換えターミナル)がありました。花巻のバス乗り換えポイントは、花巻駅前のロータリーバス乗り場と花巻バスセンターの大きく2か所がありました。花巻駅から道沿いにまっすぐ南下したところにありました。現在の岩手銀行末広町支店向かいの空き地にあたります。ここには、東宝映画館があり、映画館と乗り場がセットになってました。奇妙な一致ですね。
岩手軽便鉄道の中央花巻駅が移転前に元々あった位置は,電電公社の西側を通ってなはんプラザのあるあたりです。昭和23年の空中写真には、線路あとが残っています。花巻駅の旅客ホームの南側には、貨物専用の引き込み線とホームがありました。そのさらに南側に岩手軽便鉄道と花巻電鉄中央花巻駅があったものと推測されます。
はじめまして。
花巻在住で、花巻市のプロモーションサイト「まきまき花巻」に関わっている者です。花巻電鉄の思い出についての新記事を書こうと考えているのですが、この「中央花巻駅」の写真を使わせていただけないでしょうか?
隣にあった中央劇場を経営する故三田さんは亡くなったうちの親父の仲間で、この映画館そのものもとても懐かしい記憶の中にあります。その辺りにも記事で触れたく思います。西花巻から中央花巻に至る線路が撤去された後は細い路地になっており、私が幼稚園に通っていた頃(廃止された1年後)のころ、その道は「電車道」と言われていました。鉛温泉線が廃止された(私が小学生の頃)あとの西花巻の廃駅跡は格好の遊び場でした。電車好きになったのはそれが原点だと感じています。
写真使用の件、ご検討方よろしくお願い申し上げます。
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