1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、それ以降は廃線まで何の変哲もない路線になってしまった小松線ですが、1971年まではこの小型電車が在籍し、さらに1965年までは種々雑多なトレーラや2軸電車が在籍し、北陸鉄道各線の生き残りが集められた貴重な路線であったのでした。
1962(昭和37)年に私が訪問した時の 北陸鉄道 小松線1(大画像にリニューアル)に奇怪な車両たちを紹介してあります。
撮影:田辺多知夫 1964.10.05 撮影場所全て小松
モハ1201 1971年廃車
能美電気鉄道(能美線)木南製デホ→金石線→小松線
サハ701+モハ502 1965年廃車
左 サハ701金石電気鉄道(金石線)デハ→サハ→小松線.前年に大野港駅の奥にいた単車.
右 モハ502、501白水電気鉄道(小松線)デハで開業時からの電車.
モハ1814
加南線→金石線→小松線
10 件のコメント:
小松線での1000型、1200型の単色は初めて見ました。(松金線時代の1000型は、北陸鉄道の社史などで見ていましたが。)
何色だったのでしょうか?
esehokuさん
私もこの単色はみたことがないので分かりません。
Facebookでこのモノトーンから黄色ではないかの意見がありました。
1000型で単色と北鉄ツートンの2色は変化あって楽しいですね。
単色に見えるのは、昭和40年前後に加南線と小松線で用いられたグレーがかったクリーム色と薄い朱色の塗り分けで、色の彩度がほぼ同じなのでモノクロだとそう見えるのだと思われます。
もし単色ならば、幕板と窓下の車体標記の色を分けることはしなかったでしょう。
「昭和30年代鉄道原風景」ではヒギンズ氏は昭和39年の5月30日と6月1日に小松線を訪ねておられ、モハ1201とサハ701がこのツートンで、モハ502、1001、サハ511、571が西鉄の旧塗装に似た茶色がかったクリームとえび茶色に塗られており、モハ1001は田辺氏が撮影された10月までの間に塗り替えられたことになります。
代打・山本さん
モハ1001のカラーリングについてはいろいろと問い合わせが来ています。
写真でモノトーン見えたカラーリングがツートンとは意外で驚きました。
ヒギンス氏の本のカラー写真を確認してみます。
私はモハ1201もサハ701もモノトーンとばかり思っていました。
このツートンカラーこそは昭和30年代のローカルカラーではないでしょうか。
昭和37年の尾小屋も北鉄カラー(クリム/朱色)の前は何ともいえない田舎臭いツートンカラーでした。
この田舎臭いツートンカラーこそは、民俗学者宮本常一の「高度経済成長期前の日本人」と通ずるものがあり
一括りにしてある時代のローカルカラー(時代の空気)を表すのではないかと思います。
代打・山本様、katsu様
ありがとうございます! 目から鱗とはこの事ですね。
松金線時代の1000型はてっきりモノトーンだと思っていました。
どうも昔、松任の町中か何処かで、電車の廃車体を使った食堂だか喫茶店だかを見かけ、その電車(正面だけでした)が緑色だったので、勝手に思い込んだのかもしれません。
その電車の廃車体は、今思うと本物かフェイクかもわからないですし、ましてや北鉄の車両だったかどうかもわかりません。
でもとにかく、あの時代の北鉄の検証は楽しいですね。
あ…勘違いしました。
1000型は小松線に来てから塗色変更された、という事ですよね?
山本様も松金線時代の塗色について書かれてはいない事に、今気づきました。
連投すみません。
esehoku様
モハ1000の松金線時代は電気機関車に塗られているマルーンの単色だったようですが、私も実物を見たわけではないのではっきりとしたことは分かりません。
昭和26年に加南線のモハ5000、石川総線のモハ5100が西鉄に似た2色塗りで登場して標準色となり、37年に加南線のロマンスカー「くたに」が国鉄の気動車に似たクリームとオレンジで登場すると今度はこちらに揃えられて行きますが、その過程で一部の車両が前述の単色に見えるツートンでした。
電車の廃車体の飲食店とは、おそらく西金沢駅の裏手のお店だと思われます。市内線が廃止になった際に鋼製単車のモハ311を譲り受けて店舗とされていましたが、老朽化でレプリカに置き換えられています。
グーグルのストリートビューで見ることができますがリンクを貼るのは憚られますので、米原方面から来て西金沢駅に差しかかる手前の踏切の周辺を拡大してみて下さい。それらしきお店の名前が出てきます。
その後、各線から車両が来ましたが
小松線は国鉄と繋がっていないので
一時、隣の小松製作所のブロック塀を
壊して同社の構内線から仮線を渡し
入れたそうです。北鉄はいろんな事を
しました。
常夜燈さん
どなたかがコメント欄で書いていた「百鬼夜行」
ある時代の北陸鉄道はまさにこれで
駿遠線と並ぶ何があってもおかしくない鉄道ですね。
代打・山本様、katsu様、常夜燈様、
重ねてありがとうございます。
全てに納得です。
模型とかジオラマを作りたくなってきますね。
ほんと、かつての北鉄は、町工場(=こうば)がテキト〜に、有り合わせの材料や技術で手づくりしたみたいな車両・設備でしたね。
なんか東ドイツ時代の楽器みたいです。
(同じ型番なのに、一つ一つがぜ〜んぶ違っていて、当たり外れがひどく、その代わり、当たりを引けば音はすごく良かった、みたいな…。)
わかりにくい例えかもしれません、すみません。
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