案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年7月4日金曜日

むさしの村3号機

1972(昭和47)年9月、元台湾基隆炭鉱の3号機を見に埼玉県加須市にある「むさしの村」へ行ったことがあり、てっきり息子を連れて家族サービスで行ったつもりだったが1972年と言えば私はまだ独身であった。
近場であったのでミニ機関車を撮りに6×6版を持ってふらっと訪問したのだろう。

2フィーターでは糸魚川の東洋活性白土の協三工業製6トン機があるが、これより遥かに小さい3.5トン機のあまりのミニぶりには驚いた。
台湾の基隆炭坑で使用されていた2フィートゲージの小さな3号機は1971年に日本に来て
その後、羅須地人鉄道協会の活動により成田ゆめ牧場「まきば線」で活躍する有名な機関車となった。
昭和11年(1936年)楠木機械製作所製。整備重量3.5トン。

「夢遊生活の日々」さんの車両工作室 ではこの基隆3.5トン機の1/48模型キット( トーマモデルワークス製)の組み立てが開始されるようだ。このサイトでは製造元の楠木機械製作所の組立図が見れます。

むさしの村の森を抜ける3号機 1972年9月


3号機とスタッフの皆さん.若き日の青山東男氏

園内をのんびり走る列車

2 件のコメント:

大野 さんのコメント...

青山東男氏の若き日の姿が見られますね。「全日本小型機関車研究会」のロゴつなぎが昔懐かしいです。

青山氏においては、先日急逝されました。5月23日「成田ゆめ牧場」にて追悼列車が走ると聞いております。

katsu さんのコメント...

大野様
コメントありがとうございました。
確かにむさしの村3号機の脇に立つ、つなぎ姿の背にH.AOYAMAの文字を確認できました。
この方が「けむりプロ」の若き日の青山東男氏でしたか。
写真を撮ったのは遠い昔43年前のことでした。
青山氏のサイトや鉄道讃歌のコメントで青山氏の想いを読ませて戴きました。
鉄道趣味界で次世代に多大な業績を残しまだまだ活躍して戴きたかった方でしたね。
こうして一時代の火が消えて行くのがなんとも悲しいです。