案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年1月12日日曜日

昭和37年の旅 通りすがりの富山駅

夕方に金沢を出て着いた富山では駅前旅館に泊まり、翌朝は頸城鉄道が出ている信越本線黒井へ向けて出発した。

駅前旅館から見た地鉄市内線の単車デ3530形3533(右)と国鉄富山駅前 1962.08.03
富山の駅前旅館に泊まり、翌朝に旅館の2階から見た朝の富山駅前がこの風景であった。眼下に富山地鉄市内線の単車が次々とやってきて、富山駅前では沢山のボンネットバスが活躍していた。駅の向こうに国鉄SLの煙がたなびく。

月見旅館の窓の下を走る市内線の単車デ3510形3519. 
3510形はドア間窓が7枚と3530形よりも1枚多い.

富山地鉄市内線に乗入れていた地鉄笹津線(1975年廃線)のデ5010形 電停富山駅前 

朝の富山駅のC57

富山駅で見た富山地鉄デキ8103 (京福電鉄に居たのと同タイプ)

朝7時の富山駅D50

2 件のコメント:

影武者 さんのコメント...

富山駅前の同じ場所には今でも東横インがありますね。
さすがに2階からってわけにはいきませんが、北向きの客室を指定すれば今でも眼下に行き交う電車を見られそうです。

katsu さんのコメント...

影武者さん
早速ストリートビューで今の富山駅前を見てみました。
富山市内線の電停前にあった駅前旅館は大きな東横インになっていて客室からは富山駅が一望ですね。
地図で見ると富山地鉄本線の電鉄富山駅が北陸本線と市内線の間にあるのですね。
改めて昔の写真を見てみると正面の「娯楽の殿堂」パチンコ店の向こうに屋根が見え、これが地鉄本線の富山駅なのでしょう。
朝の富山駅で何故富山地鉄本線を何も撮らなかったか? はこの日の頸城鉄道に少しでも時間を割く必要があって先を急いだのでしょう。