案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年11月20日水曜日

花巻電鉄 クルマ社会到来の直前

1960年代前半の地方の道路は幹線や都市部を除けばどこも未舗装でトラックもバスも滅多にやって来なかった。車も来ない砂利道の端をお客を満載した軽便電車が走って行く。花巻電鉄軌道線の昭和39年頃はそんな風景であった。日本がクルマ社会到来で大きく変わるほんの直前、昭和39年頃の地方私鉄は廃線ラッシュであったが、その一方でまだ元気に走っていた路線もあった時代であった。
あのクルマ社会到来の直前から50年が経った今、どこへ行ってもマイカーが綺麗になった道路や見違えった街並みを走っている。そんなマイカーもEV時代到来となる今年の東京モーターショー2013がまもなく開催される。

滅多に車が来ない砂利道と花巻軌道線の線路. 鉛温泉-山の神 1964.08.02
豊沢川に沿った街道(現:県道12号)でもこの辺りではバスやトラックを見掛けなかった.

そんな道路の端をお客満員でやってきた軽便電車. 鉛温泉-山の神


西公園を過ぎると道路は狭くて穴ぼたらけ.こんな道路を軽便とバスが走っていた.
天気が良いと水をまいて少しでも埃を抑えるのは東京郊外でも同じであった.

晴れれば埃が舞い、雨が降れば悲惨な状況に.埃と泥んこに悩まされた時代であった. 1966.03.04

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

この50年で日本の風景はすっかり変わってしまったのですね。
自分の幼少時の写真を見ても車が殆ど走らない砂利道がいっぱい写っていました。
今では想像も出来ないです。

katsu さんのコメント...

Citetsuさん
50年前(昭和30年代後半)の日本の風景はこれが当たり前で今になってみると驚きですね。
この頃、既に地方私鉄は廃線ラッシュでしたが元気な路線もたくさんありました。沿線の道路事情が悪いところはまだまだ鉄道が活躍できたのでしょう。
ところがその後のクルマ社会で一気に衰退から廃線へ向かってしまいました。
Chitetsuさん地鉄電車のターゲットは確かクルマ社会到来前の昭和30年代でしたね。