案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年11月8日金曜日

能登金剛ともう一つの能登線

能登半島の元国鉄七尾線・能登線のその後は名称の経過が複雑で調べていると大混乱。今走っている鉄路はJRが津幡~七尾~和倉温泉間まで、のと鉄道が七尾~和倉温泉~穴水まで、その他は廃線で消えたという事になるのでしょう。

能登半島の鉄道

能登半島の東側にある能登金剛と言えば松本清張の「ゼロの焦点」、その能登金剛に近い「三明」までもう一つの能登線である北陸鉄道能登線(羽咋~三明間25.5Km)が何と昭和47年6月まで走っていた。
現役時代の北陸鉄道能登線を訪問したのはこの能登半島めぐりのずっと昔昭和37年であった。昔は国鉄七尾線の羽咋で北陸鉄道能登線に乗換え三明まで行き、そこから国道をバスで能登金剛の近くまで行く、そんな観光ルートだったのでしょう。

「能登金剛」は約30kmに亘って奇岩、奇勝、断崖が連続する海岸. 1972年9月
この「能登金剛」巌門はかっての北陸鉄道能登線の終点三明から数キロの位置にある.

夏の能登海岸をのんびり走っていた能登線. 1962年夏

 海岸線を行く能登線 柴垣-滝

キハニ5102 雨宮製作所昭和6年製.  羽咋
能登線には能登にふさわしい個性的な気動車が揃っていた.

小型ボギートレーラ.  コハフ3001

七尾線のC58

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