こんな残骸は更に細かくされてトラックへ積まれているところで、あとかたも無くなる寸前のキハ102でした。
解体現場の残骸を採寸したノート S50-5-3 東金にて 九十九里鉄道ケハ111、キハ102
ボンネット含む車両最大寸法(長×幅×高)については鉄道模型趣味No.81にあった
九十九里キハ100形の車両竣功図と諸元表により把握することができた。
九十九里キハ100形の車両竣功図と諸元表により把握することができた。
悲しいキハ102最後の姿 東金 1975.05.03
側面の社紋とキハ102表示
リヤ面の102表示
1/80 9mmナロー 九十九里キハ102タイプ(車体) 南洋物産㈱製
4 件のコメント:
廃線跡をたどった記憶がよみがえってきます。路線あとは完全にはわからなかったのですが、東金での無残な木片となった物体を見てわびしくなりました。で、これにかかる写真は現像してファイルの閉じたままです。
くさかるの時もそうでしたが、栄光の時代があったはずで、時代の趨勢とは言いながら末路はむなしいものですね。
青蛙さん
東金~片貝間の路線跡はバスで移動してほんの一部しか見なかったような? 気がします。
沿線の民家から聴こえて来た「およげ!たいやきくん」の歌を何故かよく覚えています。
片貝の駅跡も見た記憶があるのに全く写ってなく残念なことをしました。
東金の最期はほんとうにむなしいもので車両の残骸でも宝もののように思えたものです。
katsu 様
「車両の残骸でも宝物のように思えたものです。」
本当にその通りだと思います。
奇しくも同じ昭和50年、私は偶然北鉄加南線の廃線跡(河南付近)を歩いたのですが、なんと「氣笛(警笛鳴らせ)」の標識(旧字体で墨書き!)が1本残っていて、どれだけ持って帰りたい気持ちになったか…(当たり前ですが、それはしませんでしたが)。まだ未成年で、時間も行動範囲も、ましてやアタマも限られていましたから、然るべき関係者に報告する事さえ思いつきませんでした。
もしもその辺を上手くやっていたら、例えば今頃鶴来の駅に展示されていたか、記念部品で売りに出されていたかと、妄想は尽きません…。
閑話休題。 九十九里は正に野ざらし状態で十数年以上も残っていた物が多く、今改めてみてもショッキングです。東金駅の車両の残骸のバックに国鉄の73系?が写っているのも、すごく貴重な画像資料ですね。
九十九里は、それでも幸せなその後となったと思います。廃線跡は「軌道道」として整備され、人々やファンに比較的よく語られる方だと思うのです。
現役当時を知るモニュメントは、どんな形であれ残って(残されて)いる事がありがたいです…。
esehokuさん
古い記事を読んでいただきありがとうございます。
九十九里の残骸が宝物のように思えたのは
現役時代に訪問が果たせなかった九十九里への憧れが強かったせいだったと思います。
今でもこの想いは変っていません。
昭和30年代まで大変な鉄道が存在したものです。
どんなものでも良いのでモニュメントに出会いたいものです。
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