案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年11月3日日曜日

茨城交通湊線 那珂湊車庫

1972(昭和47)年夏の茨城交通湊線は「海辺の終着駅」で阿字ヶ浦駅風景を紹介したことがあります。この時の湊線は北海道からやって来た暗いえんじ色気動車集団に入れ変わった頃で、これらの車両には全く無関心だったのですが、改めて那珂湊車庫で撮った写真を見てみると活躍の場を失った元茨城交通茨木線の残党や湊線で活躍していた残党がまぎれていました。まずは那珂湊車庫の風景から。

1972年夏の那珂湊車庫
車庫には元北海道集団の有り余る大変な台数が占領していた. 
右に休むのは元々湊線でツートンカラーに塗られていた湘南スタイル2枚窓で
北海道集団の暗いカラーリングに統一されて見分けがつかなくなっていた。

元留萠鉄道のキハ1001


茨城交通発注の生え抜きケキ103とケキ102 新潟鉄工所製.  那珂湊車庫 1972年8月
どこかで見たようなB-B型機関車は津軽鉄道のDD351、352と全くの同型機だそうだ.
ケキ103は通勤時や海水浴シーズンには客車5両を牽いて活躍したそうである.

主力となっていた元北海道濃えんじ色気動車

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